前奏曲 書評|野上 彰(左右社 )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年8月31日 / 新聞掲載日:2019年8月30日(第3304号)

前奏曲 書評
原初の歌そのものの歌詞
「詩」と「詞」の間が「音楽」で、ひとつに、等しく繋がれている

前奏曲
著 者:野上 彰
出版社:左右社
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前奏曲(野上 彰)左右社
前奏曲
野上 彰
左右社
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一九六〇年代半ば、中学生の頃にアメリカのフォーク・ソングに夢中になり、やがて人前で歌うようになったぼくのような者にとって、野上彰という名前は、当時ピーター・ポール&マリーというアメリカのモダン・フォーク・コーラス・グループが歌っていてとても人気があった曲、「パフ」やボブ・ディランの「風に吹かれて」の日本語の歌詞を書いた人として強く印象に残っている。しかもぼくもまた「いいかい ぼうや お空をふく 風が知ってるだけだ」という野上さんの日本語の歌詞で「風に吹かれて」を何度も歌ったことがあった。しかし繰り返し歌ううち、戦争反対、差別撤廃を訴えるディランのこの歌を「いいかい ぼうや」と、子供に向けた歌のように、あるいは「わらべうた」のような感じで歌うことに違和感を覚え、それなら自分なりの日本語の歌詞を作って歌おうとやってみたりしていた。

あの頃ぼくは野上彰をディランの「風に吹かれて」の日本語の歌詞を作った人として知っていただけだったが、それから五五年後、左右社から今年刊行された『前奏曲』を通して、野上さんが詩人、作詞家、訳詞家、小説家、童話作家、童謡作家、戯曲家、放送作家、編集者など、ほんとうに多彩で活発な表現活動をしていた人物だということを初めて知った。左右社の『前奏曲』には一九五六年に東京創元社から刊行された詩集『前奏曲』の全編やその前後に書かれた数々の詩、作詞や訳詞を手がけた歌や童謡が復刻収録されている。野上さんが童謡や「マザー・グース」にも深く関わっていたことがわかり、もしかするとそういうところから、さまざまな解釈ができるディランの「風に吹かれて」を「いいかい ぼうや」と、「マザー・グース」や「わらべうた」のような日本語の歌詞にしたのではないかと、単なるぼくの思い込みかもしれないが、新たな気づきを得ることもできた。

本書には、草野心平、藤田圭雄、谷川俊太郎、サトウハチローの四人による「野上彰の思い出」という三編のエッセイと一編の詩、それに東京創元社の『前奏曲』の中の川端康成の序と中島健蔵の跋の文章も収められている。野上彰の詩について、中島健蔵は「君の詩には、ソノリテ(音の響きや共鳴)がある。低聲に吟誦すると、音樂を感じる」と書き記し、草野心平は「詩集『前奏曲』と『幼き歌』は色彩と音楽とが適当にバランスされてゆるやかに流れる抒情詩である。時には絢爛に時には高原の靄のように単色に彩られ、アンダンテに乗って種々の恋愛相が明滅する」と書き記している。二人とも野上彰の詩に音楽を聞き取ったのだ。藤田圭雄も児童雑誌『赤とんぼ』の編集部に野上彰が持って来るマザー・グースやスティヴンスンやデ・ラ・メーアの詩を訳した作品について、「それはどれも、原詩そのものではなく、みんな野上の歌であり、新しい時代の日本の子供の歌になっていた」と書いている。

本書に収められている東京創元社の『前奏曲』の中の詩やそのほかの詩は、「ゆめは かえっていった/あの山と谷と野原の風のなかに/もみ つが いちいの 青い葉の/ひとつ ひとつに しみとおる日の光のなかに」(「風と光と……」)といったように、典型的な抒情詩だと言える。抒情詩とは英語で言えば“lyric”、まさに竪琴で歌った原初の歌そのもの、歌詞のことだ。本書で野上彰の詩や歌詞や訳詞や童謡を併せ読んで行くと、彼の「詩」と「詞」の間は、「音楽」という強力な媒介物で、ぴったりとひとつに、等しく繋がれている、そのことがはっきりと浮かび上がってくるようにぼくには思えた。
この記事の中でご紹介した本
前奏曲/左右社
前奏曲
著 者:野上 彰
出版社:左右社
以下のオンライン書店でご購入できます
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