中平卓馬をめぐる 50年目の日記(22)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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中平卓馬をめぐる 50年目の日記
更新日:2019年9月9日 / 新聞掲載日:2019年9月6日(第3305号)

中平卓馬をめぐる 50年目の日記(22)

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大学の一学年下に父が精神科医だという女の子がいた。聞くと、都立の精神科の病院で副院長をつとめていると言う。ほとんど病院で暮らしていて週末にしか横浜の自宅には帰ってこない、とも。

その話を中平さんにすると、「話し相手になってもらえないかなあ」と言う。私は彼女に、父親に会ってもらえるか聞いてみてくれと頼んだ。そして「来るぶんにはかまわない」という返事をもらった。

たまにしか帰ってこないというその日を待って、私たちは横浜の港の見える丘公園に近い彼女の自宅を訪ねた。「父は愛想がないけど気にしないでね」、と玄関でいわれて医師である父親が待つ書斎に入った。痩身の、いかにも大人という感じ、神経質そうだがどこか現実から遊離しているような雰囲気を漂わせながら、「娘のお友だちだそうで」と、気さくに迎えてくれた。

中平さんは挨拶もそこそこに、矢継ぎ早に「下総療養所」のことなど、直近の体験を話し込んだ。医師も挨拶のような前段の会話が苦手な人だったようで、もう随分前から付き合いが始まっていた者同士が共通の話題の世界にのめり込んでいるように感じた。

同席してくれていた娘は、父の様子を補足説明するように、「父は前はほぼ毎日通勤していたんですが、いまは病院のほうがいいらしくて週末にしか帰ってこないんです。病院の仲間たちといるほうがいいからって。ね、お父さん?」。

仲間とは同僚たちのことだと私には聞こえたが、父親の医師は「そう、純粋ですよ。そういう仲間と話をしていたら、病院の外に出ると鬱陶しくてね」と言うのだった。彼にとって患者はもう患者ではなく仲間になっているのだと分かった。

外が暗くなってきたので、中平さんを促しておいとました。帰り道、中平さんは、「あのお父さん微妙だね。だけどいい医師なんだろうね。ああいう医師なら安心できる」と、一つの世界ともう一つの世界の狭間にいて、ズレの度合いの調整役をしているような精神科医に親しみを感じた様子だった。そして「今日はいい日だった」と、中平さんは重荷を下ろしたようにホッとした表情で言った。

家を出て石畳の道を少しくだると、左手に外人墓地の鉄柵が続き、右手の山下公園、そして海上の夜光が綺麗だった。

ヘッドライトを光らせて車が坂を上ってくると、その光が夜露で濡れた石畳の表面を照らし、同時に濡れた鉄柵の塗装を照らし、目に眩しかった。

中平さんはぶら下げていたカメラをその光に向けて連続してシャッターを切り始める。たちまちにしてフィルム交換。あわてて私は自分のカメラを渡す。中平さんは戦場のカメラマンもかくやと思われる集中力で写真を撮った。私はその間に彼のカメラのフィルムをチェンジする。2台のカメラをそんな風に往き来させて、30分以上も撮り続けた。車の光が少し途絶えた時に私は、「もういいよ中平さん、あとで選ぶのに手間だからもういいよ、それにフィルムも無くなりました」と言った。
「あなたのフィルムも使っちゃったのか」

その時の写真が、やがて「路上」のシリーズにおさまる。シャッターの音とそこで生まれた写真が一体となって、私の脳裏に焼き付いている。(やなぎもと・なおみ=写真家・東京造形大学名誉教授)(次号へつづく)
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