外山恒一連続インタビューシリーズ「日本学生運動史」 もうひとつの〝東大闘争〟 〝東大百年〟反対闘争 「東大反百年闘争」の当事者・森田暁氏に聞く⑮|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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もうひとつの〝東大闘争〟
更新日:2019年9月6日 / 新聞掲載日:2019年9月6日(第3305号)

外山恒一連続インタビューシリーズ「日本学生運動史」
もうひとつの〝東大闘争〟 〝東大百年〟反対闘争
「東大反百年闘争」の当事者・森田暁氏に聞く⑮

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森田 
 日大闘争後の日大のとある学部で活動していた方から聞いた話です。、にわかには信じがたいんだけど、二千人ぐらいの規模で、右翼と対峙して勝っていたって云うんだよね。それをもう一度、一九七〇年代後半に、つまり日大闘争の時からすれば三度目の右翼との直対決をやろうってことで、なんと彼は、日大当局と交渉したらしい。というのも、日大のあの右翼暴力団連中(学生運動を鎮圧するために日大当局が雇っていた、通称〝関東軍〟)の日当はひとり二万円だったそうなんです。当局としてもカネがかかってしょうがない、実はもうやめたいんだ、と。そういう事情が分かってきたんで、彼らは裏で当局と組んで、前日に構内に武器を入れさせてもらって、二〇〇人の部隊で鉄パイプでガンガンガンと、派手に打ち鳴らしたら、右翼の連中はビビって逃げていったと。本当の話かどうか分かりませんが、だけど八〇年代のどこかの時点で、日大というのも〝普通〟の大学になったことは事実なんです。そこらへんは一番新しい号の『情況』にも……。
外山 
 ええ、書いてありましたね(『情況』二〇一九年冬号、「[座談会]50年目の日大アウシュビッツ」)。
森田 
 それに理工学部なんか、黒ヘル(ノンセクト)が九〇年代までいたという話を、現役の日大教授から聞いています。他の大学と同じです。早稲田や東大とあまり変わらない。「大江戸祭」という理工学部の学園祭まで、その黒ヘルの連中が仕切ってて、学館も自主管理してたって。
外山 
 むしろ党派に抑えつけられてた早稲田なんかより活発ですよね(笑)。……あ、そういえば〝東大百年〟反対闘争の話をまだ聞いてませんでした。
森田 
 それはさっきも話したH・Sという奴がいて、歳はぼくとほぼ同じなんだけど、少し遅れて一九七三年に駒場に入ってきた。東大全共闘の裁判もまだつづいてたから、その救援に行ったり、いろいろやってたみたい。で、本郷に来て、やっぱり何かやりたいと思っていたら、ちょうど〝東大百年〟ということが云われてたから……。
外山 
 何年が百周年なんですか?
森田 
 七七年です。それでずっと募金を集めていた。

明石(本紙編集長) たしか〝安田講堂から一〇年〟と〝創立百年〟の募金集めが丁度重なってたという話でしたよね。
森田 
 ともかく、創立百年ってことで、当局が〝百億円募金〟とか云ってるから、ふざけんな、と。東大闘争で様々に提起された問題をすべて力でねじふせて、「東大の民主的伝統」を標榜する日本共産党=民青と一緒になって「正常化」して、その一〇周年を東大百年として祝うなどもってのほかだと。百億円なんかあったって、どうせ自画自賛にしか使わないんだから。それで騒いでみたら、みんなカネを出さなくなって、それはよかったんです。三〇億円しか集まらなかったらしいです。天下の東大が鳴り物入りで呼びかけたのに。当局の計画が破綻しちゃって、目論見としては〝東大百年記念館〟みたいな建物を作ろうとしてたみたいなんだけど、とうてい作れなくなっちゃうんですよ。一応は〝記念館〟という名前の施設は作って、それはどういうものかと云えば、地下のジム(笑)。最近ぼくもよく通ってますよ。

ともかく〝反百年闘争〟というのは、H・Sっていうヘンな個人が始めた、ヘンな闘争なんです。全共闘OB連中を動員して、さっき云った、日大銀ヘルの集会で挨拶した英文科のS君なんてのも大学院生として本郷にいたし、他にも元工学部なんだけど文学部の院に進んで、今は大学教員をやってる倫理学科のS君というのもいたから、そういう院生二人ぐらいも含めて、あとはH・Sの友達何人かで始めたものだったにすぎない。……もちろんそれらの運動は、もともとの全共闘の生き残り連中なんかと組んで、職員の中にもそういう残党グループはいたし、そういうところを全学部をいろいろ回ってね。しかしそれが、七八年のあの〝3・26〟の勢いで、つまり〝3・26バブル〟によって、一挙に自治会も分捕っちゃうところまで行く。
外山 
 あ、自治会を獲る話もその同じ時期なのか……。
森田 
 前年から自治会選挙を視野に署名運動なんかも始めてて、ずいぶん頑張って署名も集めはしたんだけど、しかし文学部は、自治委員にあたる「学友会委員」というのは三〇人ぐらいで、そのうち八人しか獲れなかったんですよ。とうてい自治会を分捕れるような状況ではない。ところがそれが一挙に、三〇人中二六人を獲るところまで行くんです。まさに圧倒的に獲っちゃった。それとは別に「学友会委員長」というのがいて、そっちは学友会委員の互選なんですが、その後大学教授になったり有名出版社の編集長になった奴がつとめました。実は駒場のほうでも反百年闘争をやったんです。しかし当時の教養学部の学部長は大森荘蔵で、議論に負けない人だから、全然こう、暖簾に腕押しで(笑)、結局は闘争にまで持っていけなかったんですよ。ただ、駒場には三年生、四年生のシニアである教養学科と基礎科学科というセクションがあるのですが、反処分闘争の中で、この自治会も奪取しています。一方で文学部のほうは、同じ哲学者でも山本信が文学部長で、生真面目だから学生との議論に負けちゃって、「分かりました、やめます」って。つまり「募金を集めるのはやめます」って正式に表明しちゃったんです。
外山 
 そうか、〝百億円募金なんかやめちまえ!〟という運動を盛り上げることによって、自治会選挙での学生の支持も集める、っていう形で連動してるわけか。
森田 
 あの闘争のことは誰も書いてないんだけど、でもともかく、自治会を分捕るぐらいの闘争にはなりましたね。それもひとつだけじゃなくて、その時は農学部も、一時期は途切れてたのを、またノンセクトが分捕るんだから、ふたつです。ひとつの闘争だけで一気にそこまで持って行けるんだから、いくら東大が共産党の牙城だとは云っても、そこまで圧倒的に強いわけでもないってことだな。完全に共産党が押さえてるのは、職員組合だけですよ。医学部も合わせて三学部の自治会をノンセクトが獲ったのは二度目です。一九七三年の時は医・農・工だった。その後農学部は三、四年、そのまま維持するんです。秋口だったか五月祭の時だったかに、グラウンドでロック・コンサートをやってね。そうやって支持を取りつけて、自治会を維持してたんだもん。

自治会を奪い返してからは、サザンオールスターズなんかも来てたなあ。立て看がずらっと並んでる上のステージで、桑田佳祐が「勝手にシンドバッド」とかを歌ってましたよ(笑)。多くの学生にとっては自治会が民青でもノンセクトでも、どっちでもいいんだから、それなら楽しそうなほうに投票でしょ。東大の自治会選挙というのは、わりと民主的にやるんで、相互監視システムもちゃんとできてるし……。  〈次号につづく〉

【編集部より】本稿は、森田暁氏の記憶に基づいたものです。当時の情報は編集部までご一報下さい。info@dokushojin.co.jp
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