フランス・ユダヤの歴史(上) 古代からドレフュス事件まで 書評|菅野 賢治(慶應義塾大学出版会)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2016年11月25日 / 新聞掲載日:2016年11月25日(第3166号)

ユダヤ研究の欠落を打破する突破口 今日の人文社会科学全体にとっての求められる「知」のあり方を示す

フランス・ユダヤの歴史(上) 古代からドレフュス事件まで
出版社:慶應義塾大学出版会
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フランスとユダヤ――この両者の結びつきは、歴史的にも現代的にもきわめて重要な主題であるが、この点についてこれまで日本でまとまった著作はなかった。もちろん、西洋史などでいくつもの専門研究が出ているし、近代以降については有田英也の『ふたつのナショナリズム』など出色な著作もある。しかし、他の欧米諸国については通史的な著作がすでにあるのに対し、フランスにおけるユダヤ人の歴史の全体像を知ることができる書物の不在は、嘆くべき欠落であった。フランス革命の「ユダヤ人解放令」で「解放」されたのは誰なのか。どうして一九世紀にユダヤ人が陸軍将校になれたのか。アルジェリア生まれのユダヤ人の哲学者デリダが恩恵を受けたとされる「クレミュー法」とは何か。なぜフランスとシオニズムは折り合いが悪かったのか。なぜパリのマレ地区にはユダヤ人街があるのか……ときに突きあたるこうした問いに対し一貫した手がかりを与えるものがなかったからだ。「フランス・ユダヤ」の全体像を――しかもその多様性を損ねることなく――描ききる本書は、こうした状況を打破する貴重な突破口だ。

著者の菅野賢治は、シャルル・ペギーとドレフュス事件に関する研究を足がかりに、フランスにおけるユダヤの研究を深め、レオン・ポリアコフの大著『反ユダヤ主義の歴史』の翻訳やヤコブ・ラブキンを紹介したことでも知られている。その菅野が、とりわけフランスにおけるユダヤ史研究をくまなく参照し、自身の鋭い考察を随所に挟みながら、古代から現代にいたる「フランス・ユダヤ」の歴史をまとめあげたのが本書である。

二巻本で、古代から〈大革命〉を経てドレフュス事件までを扱った上巻と、それ以降、第二次世界大戦を経て現代までを扱う下巻からなる。時代ごとに具体的な主題が設定され、時系列的に議論が進められる。地理的にも、プロヴァンスからボルドー、アルザス=ロレーヌへ――さらに国境をまたぎ、西はスペイン、ポルトガル、さらに太平洋を超えてアメリカへ、北東へはオランダ、ドイツ、さらにロシアへ、南の北アフリカのマグリブ諸国を経てイスラエルへ――フランスのユダヤ教徒/人の姿が多種多様なネットワークを通じて立体的に描き出される。
特筆すべきは、こうした記述を貫く筆者の一貫した姿勢だ。これまで、各地で迫害を受ける流浪の民として、ときに押しつけがましい共感や哀れみをもって、とはいえつねに「受動的に」描かれがちだった「ユダヤ人」に対し、能動的に歴史を生きる主体の地位を授けるのだ。したがって、ヴォルテールのユダヤ嫌い、ドリュモンの反ユダヤ主義プロパガンダなど外からの見方ではなく、むしろ中世フランスで聖典解釈の礎を築いたラシ、ポルトガルに「新キリスト教徒」として生まれ「ユダヤ教徒」としてフランスにいきたエリヤフ・モンタルト、一九世紀フランスのユダヤ人の社会的条件の改善に心を砕いたアドルフ・クレミュー、迫害が続くなか抵抗を試みたフランス・ユダヤ人共同体の指導者等々こそが主役となる。

もう一つの特徴は、先に触れたように、本書の記述が、基礎文献から最新研究にいたるまでフランス語のものをはじめとする広範なユダヤ史研究の成果に基づいていることだ。その意味では同書からフランスでのユダヤ史研究についても窺うことができるようになっている。この点で特筆すべきは、次のような姿勢である。すなわち、ステレオタイプ化や矮小化を受けることの多い「ユダヤ人」という表象に対し、異なる時代や地域や言語を横断し、さまざまな資料に目を配り、ときには知的想像力を研ぎ澄まし、その多面性をできるだけ描き出そうとするのである。一口に「ユダヤ人」といっても、宗教的帰属としての「ユダヤ教徒」、国家的帰属としての「イスラエル」のユダヤ人、民族的帰属として「ユダヤ人」等々、ただでさえさまざまな含意がある。時代ごと地域ごとにいっそう具体的に見てみると、政教分離に支えられ私的領域ではユダヤ教を信奉するが公的領域では一人の「フランス人」を自認する「イスラエリート」、世俗化された世界でなお宗教性を保持するユダヤ人、自らのユダヤ性を拒否しつつ他者からそう規定されるばかりのユダヤ人、非宗教的だが文化的・政治的なアイデンティティを「ユダヤ」に探るもの……、これにアルジェリアのような「元」フランスを加えれば輪をかけて複雑となる。そのそれぞれについて、豊富な情報を整理し、ときには先行研究への批判や提言をも忘れずにその姿を克明に描こうとする本書は、ときに出来合いの観念で過去を語ろうとするわれわれに注意を喚起してくれるものでもある。

それゆえに本書は、単に知られていなかった事実をまとめあげた歴史書にはとどまらない。「フランス・ユダヤ」を舞台に、つねにさまざまなかたちで「宗教」と関わりあい、さまざまなかたちで「歴史」を生きてきた「人間」を見る見方を教えてくれるという点で、今日の人文社会科学全体にとっての求められる「知」のあり方の一つを提示するものとすら言えるだろう。フランス史やユダヤ史に関心を抱く読者ばかりでなく、広く読まれるべき書物である。
この記事の中でご紹介した本
フランス・ユダヤの歴史(上) 古代からドレフュス事件まで/慶應義塾大学出版会
フランス・ユダヤの歴史(上) 古代からドレフュス事件まで
著 者:菅野 賢治
出版社:慶應義塾大学出版会
以下のオンライン書店でご購入できます
フランス・ユダヤの歴史(下) 二〇世紀から今日まで/慶應義塾大学出版会
フランス・ユダヤの歴史(下) 二〇世紀から今日まで
著 者:菅野 賢治
出版社:慶應義塾大学出版会
以下のオンライン書店でご購入できます
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