古田徹也氏ロングインタビュー 運に向き合い、倫理を問いなおす 『不道徳的倫理学講義』(ちくま新書)刊行を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年9月6日 / 新聞掲載日:2019年9月6日(第3305号)

古田徹也氏ロングインタビュー
運に向き合い、倫理を問いなおす
『不道徳的倫理学講義』(ちくま新書)刊行を機に

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第3回
準備の先にある意外なもの/徳を語る言葉の本来の迫力

古田 
 少し話がずれますが、自分は文章を書くのは嫌いではなくて、それは、当初こういうものを書こうと意図していたのとは違うものが結果として出てくるからです。そうでないと書く意味がないというか、どこかそういう、意外なものの到来を期待して書いているみたいなところがある。授業もそうで、しっかり準備しないでやったらやったでボロボロになるんだけれども(笑)、完璧に準備して、思った通りに終始してもすごくつまらなくて、何も得たものがない。逆に、学生から思わぬ反応がきたり、それこそ演習などで全然違う解釈が出てきたりして、「確かにそう読めるかも」と驚いたりする。そういうときにはじめて、何かをしているという実感を自分は得られます。だから、誤算が生じるのをある意味では求めている面もある。誤算や見当外れというのはもちろんいいことばかりではなくて、大失敗も起こりうる恐ろしいものだけれど、何か意外なものがそこで出てこなければ、本当の成功だとも言えない。

これは面白いところで、言うまでもなく、企画というのはある種の確実性を求められて当然なんですよね。しっかり準備して、それが実現しなかったら、もちろん成功したとはいえない。でも、それがすべてでもない。あらかじめ思い描いてはいなかったこと、その意味で新しいことが生み出されてはじめて、その企画は真に充実したものになる。そして、その結果を引き受けながら私たちはさらに先に進んでいく。そういう面が実相としては確かにあって、そういう我々の現実のありように、「公正の原則」や「コントロール原則」といった類いの発想はうまく乗らない面があるわけです。

――他方で、第5章で取り上げられているストア派は、自分でコントロールできるものとできないものとを見極め、自分になしうる限りのことをする、ということに専心しているように見えます。
古田 
 なしうる限りをしたその地点までを責任を負う範囲とする、というのは倫理学の正統的な考え方だと言えます。そしてこの考え方は、私たちにとって慰めにもなりえますが、同時に苦痛にもなりえます。一方では優しすぎるが、他方では厳しすぎる。優しすぎるというのは、実際はそうも言っていられない、ということです。私たちが日々行うことにはどこかしら賭けの要素があって、それを引き受けつつ私たちは生きている。このことからすると、責任を負う範囲を自分がコントロール可能な範囲に限る、というのは優しすぎる。他方で、厳しすぎるというのは、実際はそこまで考えられない、ということです。いざ結果が出てしまえば、できたはずのことというのはいくらでも挙げられるんですよね。だから、事件や事故の後で当事者を責めることも簡単なんです。もっとこういうふうに安全対策ができたのではないかとか、この道を通らなければよかったのではないかとか、もっと人員を配置できたのではないかとか。

――本書ではまた、運の問題に真摯に向き合うことが「自己の実質」や「望まれる社会制度」といったものを問うことにつながる(292頁)、と指摘されている点も示唆的です。
古田 
 運に対してどう向き合うかって、本当に難しい問題なんです。でもだからといって、そんなもの無いかのように済ますことはできない。そして、たとえばストア派やカントにしたって、そのような無責任な態度をとっているわけではない。彼らなりの仕方で運の問題に向き合っているとも言える。

本書で何度か紹介したのは、アーレントによる次のような議論です。「善き人は決して害されない」というソクラテスやプラトン的な命題も、あるいは、「徳を備えた者はいかなる状況においても幸福である」といったストア派的な命題も、彼らが生きた当時は逆説として聞こえていた。つまり、運任せで善や徳を省みない者に対する挑発として、人々の耳に響いていた。ひるがえって現代の私たちは、彼らの言葉をそのように逆説や挑発として聴く耳を失ってしまった。アーレントはおおよそそのように診断しています。

本書では「理想と現実の間の緊張を取り戻す」という言い方もしました。本書のひとつの狙いは、ソクラテスやストア派はある種の覚悟のもとに、まさに現実と切り結ぶために語っていた、という点を際立たせることです。彼らは、彼らなりの理想を立てて、現実に対して突っ張っていた。そうした彼らの言葉をたんにありがたく信奉するのでもなく、また、非現実的な絵空事として馬鹿にするのでもなく、支持するにせよ、批判するにせよ、その挑発を受けとめる耳を取り戻さなければ、彼らの言葉がもっていた迫力も理解できないでしょう。ソクラテスを刑死に追いやるほど人々を苛立たせ、焦らせた、その迫力です。そしてそのためには、古代の倫理学史に本格的に立ち戻る必要がある。
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この記事の中でご紹介した本
不道徳的倫理学講義 ─人生にとって運とは何か/筑摩書房
不道徳的倫理学講義 ─人生にとって運とは何か
著 者:古田 徹也
出版社:筑摩書房
以下のオンライン書店でご購入できます
「不道徳的倫理学講義 ─人生にとって運とは何か」出版社のホームページはこちら
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