古田徹也氏ロングインタビュー 運に向き合い、倫理を問いなおす 『不道徳的倫理学講義』(ちくま新書)刊行を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年9月6日 / 新聞掲載日:2019年9月6日(第3305号)

古田徹也氏ロングインタビュー
運に向き合い、倫理を問いなおす
『不道徳的倫理学講義』(ちくま新書)刊行を機に

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第5回
自分をかたちづくるもの/自然な感情の肯定

古田 
 「アパテイア(感情から自由な境地)」や「アタラクシア(無動揺、平静の境地)」に達するというのは、現実には難しいし、仮に、本当にそうした境地に到達することが可能だとして、本当にそれでよいのだろうかとも思います。どんなことが外部から身に降りかかってきても、どこまでも自分のものとしてとらえることがない。自分をかたちづくる一部に決してしない。そうやって残る「自分」とは何なのだろうかと。

――本書の次の一節にもつながりそうです。「我々はそれぞれ、常にいま・ここから――つまり自分だけが占める立ち位置から――現実と向き合っている。その経験は、文字通りの意味でかけがえのないもの、他人と置きかえのきかないもの」(322頁)だと。自分に固有の経験と向き合うことを通して、自分も変容し、自分自身がかたちづくられていくと。
古田 
 運の産物が分かちがたく織り込まれた、自分に固有の経験。その履歴によって自分自身がかたちづくられている。しかも、そうした自分自身の生は、さまざまな感情の揺れ動きとともに形成されるものだと思います。

アダム・スミスが重要な思想家だと思うのは、たとえば次のようなことを指摘していることです。肉親の死に際して過剰に泣き叫ぶ人や、我が子をあまりに溺愛している人に対して、非難が向けられることはある。それは当然なんだけれども、それよりも遥かに強い否認を引き起こすのは、むしろそうした感情が不足している人に対してである。スミスはそう言うんですね(本書238頁以下)。多くの親は、他人の子よりも我が子を贔屓しないよう気をつける。それは適切なことだとスミスは認めつつ、同時に、「そうした過剰になりがちな感が不足していれば、それは特別に嫌なものに見える。自分自身の子どもに何も同情を示さず、あらゆる場合に容赦のない厳格さと苛酷さをもって取り扱う人間は、あらゆる動物のなかで最も唾棄すべき者だと見なされる」と、すごく強い調子で批判している。これは微妙だけれども重要なポイントです。スミスは多くの点でストア派の影響を深く受けていますが、たとえばこのポイントではストア派からはっきり離反します。

人生のなかで、たとえば自分の子どもを授かるとする。それはたまたま運よく家にやってきたようなもので、驚くほど脆く、刻々と移ろっていく存在です。多くの親は、その子をとても大事に思う。そしてこの気持ちはすぐに過剰になりがちです。依怙贔屓とか溺愛とか。親はそういう感情を抑制しようとして、あえて厳しくあたったり、きつく叱ったりもする。でも、一緒に生活していれば、我が子への愛情で一杯になることも多々あります。それこそ、我が子が何か事故や事件に巻き込まれたら、立ち直れないほどの衝撃を受け、限りなく打ちひしがれるでしょう。そういう脆さや、脆いからこその大事さ、あるいは、大事なものに向ける感情の揺れ動きが、それぞれの人生の重要な実質をかたちづくっていると言っていいのではないでしょうか。

けれども、文字通りの無動揺の境地に達している賢者は、我が子を失おうがどうしようが動揺しない、ということになる。プラトンの『メネクセノス』でも、他人に依存することなく、他人の浮き沈みによって自分も動揺するということがない者こそ、人生を生きる準備を最も見事に整えている者だ、と説かれています。そして、そのような者はまさに自足をしているので、運よく子どもを授かっても、逆に失っても、度を超して動揺することはないのだと(本書110‐111頁)。

こうした教説、つまり、プラトンの言う「最も見事に整えられている」心構えをもって生きよ、という教えは、本当に厳しい荒波に現実に飲まれたときにこそ活きてくるようなものではないかと思います。我が子を事件や事故で失ったときに自分が完全に壊れてしまうことを、あらかじめ防ぐ準備として。あるいは、本当にそういう逆境に陥ったときの、心の慰めや救いとして。

逆に、アダム・スミスが強い批判を向けるのは、それこそ端っから、平常時も含めて、人生の全般にわたってそういう心構えや態度を保つ人に対してです。自分の子に対して特別な愛情をまったく注がない。ほかの子とまったく同様に扱う。そうやって、本当の意味でいっさいを公平に扱うことの異様さというのでしょうか。

もちろん私たちは、繰り返すように、依怙贔屓はいけないし本人のためにもならないと思うから、過剰な溺愛は抑えようとする。私たちはその程度には道徳的な人間です。けれども、そのように容易に過剰になりがちな私たちの感情の揺れ動きを、スミスはむしろ自然なものとしてとらえている。一面ではまさに人間の弱さ、愚かさを示すような、その人間の人間らしい部分を、彼は根底のところで肯定している。
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この記事の中でご紹介した本
不道徳的倫理学講義 ─人生にとって運とは何か/筑摩書房
不道徳的倫理学講義 ─人生にとって運とは何か
著 者:古田 徹也
出版社:筑摩書房
以下のオンライン書店でご購入できます
「不道徳的倫理学講義 ─人生にとって運とは何か」出版社のホームページはこちら
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