古田徹也氏ロングインタビュー 運に向き合い、倫理を問いなおす 『不道徳的倫理学講義』(ちくま新書)刊行を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年9月6日 / 新聞掲載日:2019年9月6日(第3305号)

古田徹也氏ロングインタビュー
運に向き合い、倫理を問いなおす
『不道徳的倫理学講義』(ちくま新書)刊行を機に

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第6回
人間ならではの偉大さ/あるがままの生の実相

――本書で言われる、人間ならではの「ある種の偉大さ」というもの(84、339頁)とも関係しますね。
古田 
 手が届かないもの、自分のコントロールが及ばないものを前にして、賢者のように達観するのではなく、あくまでも手を伸ばそうとする。そうした、人間のあるがままのみじめな姿が、なぜときに偉大に思えるんだろうか。本書では繰り返しそう問いました。私たちは、そのつどの人生において誰かと出会って、その人たちとの偶さかの関わりのなかで、しばしば弱く愚かしい仕方で、たまには気高く賢い仕方で、なんとかもがきながら暮らしている。そういう現実のなかで、自分自身や自分固有の生がかたちづくられていく。私たちはその意味で、運とともに生きる存在です。なぜ、そのような存在が、偉大でありうるのか。本書ではジェイ・ギャツビーやアンナ・カレーニナの生き方なども取り上げましたが、なぜ私たちは彼らの生き方に偉大さを見出すのか、という謎でもあります。特定の人に焦がれ、追いかけ、不倫に走る、そのきわめて不道徳な生き方に、私たちはなぜ偉大さを感じるのだろうか。

それは少なくとも、神に近いという意味での偉大さ、神の似姿としての賢者の偉大さではない。そうではなく、等身大の人間、不完全で不道徳な人間ならではの偉大さです。だからそれは、道徳という範疇でとらえることができるものではない。また、それは、倫理学の分野では往々にして、「実存」という大雑把な範疇にまとめられてしまいがちなものです。そのようにうやむやにするのではなく、道徳でも実存でもなく、その間にあるものをつかまえたい。本書では、「偉大さ」という言葉で何とかつかまえようとして、つたない試みをしたわけですが、それは本来、人間という不思議な存在の実相に迫るものであるはずです。「尊厳」というのとも違う何か、それをつかまえたい。

そして、そのためにはまず、私たちはどのように生きているのか、私たちにとっての生活とはどのようなものなのか、その現実をとらえる必要があります。「いかに生きるべきかを問いつつ生きる、当の人間とはいかなる存在なのか」(331頁)をさぐる必要がある。 

――「人間のあるべき生と、人間のあるがままの生の裂け目を見つめる」とも書かれています。
古田 
 人間のあるべき生との対比の下で、人間のあるがままの生をとらえる、ということだとも言えます。「運」という概念をめぐって倫理学史全体をたどり直すという本書の道筋は、その試みの一環でもありました。

いまの私たちの生は、いまだけ見つめていてもなかなか見えてはこない。道徳や倫理にまつわる私たちの思考も、現代以前の思考から照射することで輪郭づけられるところがある。歴史の流れをたどるというのは、どうしてもお勉強感がでてくるかもしれないけれど、実際に運をめぐる倫理学史を追ってみると、現代で展開されている「道徳的運」をめぐるさまざまな議論が結局のところ、ずっと昔から人々が考えてきたことの反復になっている、ということに気づきます。本当に何度も繰り返されてきた。それを確認することで、現代の倫理学の議論や、あるいはもっと広く、道徳をめぐる私たちの思考一般を、適切に位置づけなおすことができるかもしれない。大仰なことを言えば、人が生きているかぎりついてまわる根本的な問題が確認できるかもしれない。その一端は、本書で提示できたように思います。

また、同時に、運という概念をめぐって倫理学史をいまたどり直すことは、現代からそれ以前の時代の思考を照射することにもなると思います。先ほども申し上げましたが、ストア派などの過去の思考に光を当て、生きた思考として、もう一度迫力を取り戻させることができるかもしれない。

いずれにせよ、私がそうやって試みていることは、まずもって、私たちが現にいま何をしているのか、あるいは、これまで何をしてきたのかということをつかまえる、ということです。つまり、人間の生活を理解するということです。それは途方もなく大変で厄介な作業ですが、しかし倫理学は、その途方もない作業を引き受ける分野だと思うんですね。

複雑な現実という厄介な泥沼のなかで、その現実をつかまえたい。私たちが生活のなかで用いている「道徳」や「倫理」といった概念の内実を理解したい。「責任」とは何か、「運」とは何かを理解したい。そのように、はっきりとはわからない概念を十分に理解するというのは、それらの概念が深く浸透して息づいているこの生活ないし社会を理解することでもあります。本書をはじめとして自分が研究者としてやっていることはすべて、つまるところはそのような作業なんだろうと思います。

強調したいのは、そのようにあるがままの生、私たちの生活の実相をつかまえる作業というのは、どこかでかならず、私たちの現実の生活に対する外在的な視点を含むことになる、ということです。そして、その外在的な視点の少なからぬ部分は、現実に対する何かしら批判的なまなざしを含むことにもなる。それはたぶん避けがたくそうなるだろうと。自分にとっての倫理学とは、そのような営みなんです。       (おわり)
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この記事の中でご紹介した本
不道徳的倫理学講義 ─人生にとって運とは何か/筑摩書房
不道徳的倫理学講義 ─人生にとって運とは何か
著 者:古田 徹也
出版社:筑摩書房
以下のオンライン書店でご購入できます
「不道徳的倫理学講義 ─人生にとって運とは何か」出版社のホームページはこちら
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