君が異端だった頃 書評|島田 雅彦( 集英社 )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年9月7日 / 新聞掲載日:2019年9月6日(第3305号)

君が異端だった頃 書評
新たな「私」語りの試み
異端をめぐる「君」の眼を通して

君が異端だった頃
著 者:島田 雅彦
出版社: 集英社
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 痛快な青春〈自伝〉小説と言っていいだろう。「君」と二人称で語られる「島田雅彦」の、自分を意識し始める幼少期から中上健次の死に遭遇する31歳(1992年)まで、表現者をめざす遍歴を、友人、作家、編集者などの実名とともに描く。作者がこの作品について書く言葉によれば「9割以上事実」で、現在が「政治と報道によって、事実が隠蔽され、歪曲され、捏造される時代」だからこそ、「事実」にこだわり(「青春と読書」8月号)、それにふさわしい形式として「私小説」を選んだという(本書最終章)。

確かに、川崎の郊外で遺跡掘りに明け暮れる少年時代から、都市部の学校に通い、演戯と策略によって世渡りする高校時代、ロシア語を学び冷戦末期の停滞の中でもがく大学時代、デビュー後の芥川賞落選6回の顛末や文壇サバイバル術まで、「事実」にこだわった展開は、島田雅彦の読者でなくても興味は尽きないだろう。読者は、「君」の人生にそって作家修行の技術を学ぶこともできるし、かつての「文壇」に棲息した文学者のドキュメントも楽しめる。あるいは人生において「モテ」がいかに人々を動かすか、そしてそれを獲得するための努力があり、獲得したとたん嫉妬をあびるという真実を分かち合える。

この作品は、「君=島田雅彦」が語るという形式によって、対象との距離を自在に変えている。筆者としては少年時代の内面に入り込んだ記述の方を好むが、その仕掛けによって「私小説」的には見せ場となる、中上健次との文壇的応酬も恋人との戯れも、かつての「私小説」のような「私」をめぐるドロドロした記述にはならない。「左翼」を「サヨク」と言い換えたように、作者によって「私小説」は更新されたのだろう。ただし、『優しいサヨクのための嬉遊曲』など、彼の出発は、教養小説のパロディであり、ゴンブロヴィッチの「青二才」よろしく「私」語りの脱構築だったことは言うまでもない。その流れをふまえた、新たな「私」語りの試みとも言える。

同時代を生きた者として、ここに描かれた約30年の日本が、停滞と閉塞の時代だったことをあらためて思った。冷戦は終わらないと思われた。チャチな家電と狭いハウスを手に入れることに汲々とした。権威は権威であり続けた。ネットもスマホも無かった。閉じ込められたそんな空間に「否」を突きつけるためには「異端」であるしかなかったという「事実」の痛みが、極東のカワサキに育った何者でもない「君」の眼を通して伝わってくる。そう考えるとこの小説は「島田雅彦」という「他者」の自伝であるとともに、「縄文時代」、「南北戦争」、「東西冷戦」、「文豪列伝」と歴史記述を思わせる章題が表すように、日本の近過去を問い直す物語でもあるのだろう。
この記事の中でご紹介した本
君が異端だった頃/ 集英社
君が異端だった頃
著 者:島田 雅彦
出版社: 集英社
以下のオンライン書店でご購入できます
「君が異端だった頃」出版社のホームページはこちら
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