殴り合いの文化史 書評|樫永 真佐夫( 左右社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年9月7日 / 新聞掲載日:2019年9月6日(第3305号)

殴り合いの文化史 書評
拳で殴る暴力の文化史・精神史
人間諸相の因果を泣き笑いする節談説教の趣き

殴り合いの文化史
著 者:樫永 真佐夫
出版社: 左右社
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 古代ギリシャの哲人ソクラテスに「拳闘経験があり」、「オリンピック見物に行くほどの大の拳闘ファンで」「ピタゴラスも拳闘が強かった」「哲人は鉄人でもあった」という件を読み、驚異の博識と桁はずれの想像力をもって、突如出版というリングに躍り出た樫永真佐夫とは何者か、と思った。

巻末略歴によれば、一九七一年兵庫県に生まれ、東大で博士課程を修了、専攻は文化人類学。現在は、国立民族学博物館、総合研究大学院大学の教授。ベトナムの少数民族「黒タイ」の研究者で数冊の研究著作をもつ。しかも驚いたことにこの人は、二十年以上もジムに通い続け、バンコックでの試合経験のある、その勝利と敗北の快楽を知るプロボクサーであったのだ。

「拳で殴る暴力の文化史」「精神史」のロードワークは、古今東西を駆け巡り、生命人類発生の起源科学文学異学形態善悪の彼岸までも踏破する勢いだ。また語りの巧さは、人間諸相の因果を泣き笑いする節談説教の趣きがある。たとえば、「古代の拳闘は」「千年の間に道具、トレーニング法などの進歩を経て」「暴力性と血腥さはますます増していく」。しかし、この「暴力のゲームを、歴史記録から消したのはローマの平和の終焉だ」。つまり、この「血腥い文化は、平和によって支えられていた」と言う件である。

この逆説の妙味は、近代ボクシング成立の裏面史を鮮やかに炙り出す。「十七世紀、拳闘の主役は水夫、肉屋、鍛冶工など屈強な」「肉体労働者だった」に始まる「リング(輪)」の由来。「拳闘ルールが初めて成分化されたのは一七四三年で」「この最古のルールを定めたのは」「次代のチャンピオン、ジャックプロートンだ。もとはテムズ川の船頭だ」に続く一文は……。

この「ラウンド制の起源」は、「必ずしも拳闘家の安全のためではない。激しい殴り合いを繰り返させるためだ」。同時に成文化されたルールは、昂奮した観衆の試合への干渉を排除し「賭けの公正性を保証するためだった」。「賭けがあってこその興行」であったわけだ。後に、「体重制が導入されたのも、その方が賭けが面白くなるからだ」と展開してゆく。

グローブについてもそうだ。「グローブは相手へのダメージを減らすためのものではない。むしろ自身の拳や手首を保護し、かつ素手で殴るより強烈なダメージを、相手に与えるためのものであ」り、「脳を振盪させ」体のコントロールを奪うためのものなのである。

さて拳闘は、素手すなわちベアナックルのプライズ・ファイトの時代を経てグローブ・ファイトの時代を迎え、一八六七年、クイーンズベリー・ルール(一ラウンド三分、インターバル一分のラウンド制、ダウン時のテンカウント制)が制定される。ここに著者は、イギリスの資本主義国家形成に至る「量的な時間との関連」をみてとる。すなわち「近代になって人々が新しく身につけた時間観念を前提として、ボクシングルールはできあが」ったのである。

本書の面白みを私は節談と譬えたが、余談めいた物言いの中から、たくさんのことを学ばせてもらった。試合中、レフリーが選手に促す「ボックス!」。はては、平安中期の辞書に「須末比」と「古布志宇知」があること。前者が相撲なら後者は……拳闘!。目眩く驚きであった。

柳田国男を生んだ、著者の故郷播磨の丘に立ち戻ろう。「敗者に対する嗜虐的欲望は、人間の心の中にあいかわらず沈潜している」「完膚なきまで打ちのめされた無残な敗者の姿を見ることもまた、大きな喜び」であるからだ。「華々しい勝利と惨めな敗北の鮮やかな対照」、こんな場面を目撃したいために、今夜もそわそわと後楽園ホールに足を運ぶのである。

実感的文化人類学者が、幾時代幾万の敗者に注ぐ眼差しである。
この記事の中でご紹介した本
殴り合いの文化史/ 左右社
殴り合いの文化史
著 者:樫永 真佐夫
出版社: 左右社
以下のオンライン書店でご購入できます
「殴り合いの文化史」出版社のホームページはこちら
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