福田陸太郎 寄稿  ほんやく川端文学 ――「伊豆の踊子」「雪国」「千羽鶴」の味わい 困難を克服した移植 『週刊読書人』1968(昭和43)年6月10日号 1面掲載|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年9月8日 / 新聞掲載日:-0001年11月30日(第750号)

福田陸太郎 寄稿
ほんやく川端文学 ――「伊豆の踊子」「雪国」「千羽鶴」の味わい 困難を克服した移植
『週刊読書人』1968(昭和43)年6月10日号 1面掲載

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1968(昭和43)年
6月10日号1面より
川端康成氏が日本人として最初のノーベル文学賞を受賞した。日本の文学が世界的にも認められるちう機運が一層高められることになろう。各国語に訳され、「雪国」「伊豆の踊子」「千羽鶴」「古都」などが海外でも人気を呼んでいる。そこで英文学者で、比較文学を専攻する福田陸太郎氏に英訳された川端文学を中心に展望してもらった。(編集部)
第1回
失われる絵画的なイメージ

福田 陸太郎氏

川端康成氏の作品の英訳について気づいたことを以下少し書いてみるが、原文からの離反ということがクローズ・アップされがちである。私も川端文学を翻訳することのむずかしい例をいくつかあげることになろうが、それは今までに出た翻訳に対して文句をいうためではなく、むしろそういう困難を克服してりっぱな移植がなされたことに注意をひきたいからである。

先日私は何気なしに『伊豆の踊子』の英訳本を手にとって読み始めた。かなりポキポキした感じのはぎれのよいスピーディな文章であり、抵抗なしに頭へ入ってくる。あまり感情のにじみといったもののない、カラッとした表現がつづく。そこで原文とくらべながら、今度はゆっくり読んでみた。たちまち気づいたことは、書き出しの日本文の中に含まれた絵画的なイメージが、英文ではかなり失われていることであった。それは英語の性質上しかたのないことであるが、惜しい気がした。

道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思ふ頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。
A shower swept toward me from the foot of the mountain, touching the cedar forests white, as the road began to wind up into the pass.


原文では先ず天城峠へ向うつづら折りの道が描かれ、雨脚が杉林を白く染めて、私に迫ってくるという順序で書かれているが、英文では先ずにわか雨が私の方へ山の麓からやってくること、それからまわりの風景が描き出される。いわば静から動へ移る原文に対して、動から静への順で描写の進む英文の方が、始めからスピード感を与えたのは当然だろう。元来構造のちがう二つの言語の間で、語句の順序のちがいを問題にするのはやぼというものであるが、やはりこの場合もちょっと気になることである。また「つづら折り」とか「雨脚」とか日本語が何と良い言葉かということも改めてしみじみ感じさせられる。前者は“wind up”という説明的な文句で、後者は単に“shower”という語になっているのである。外国語を習うことによって母国語に目覚めるといわれるが、こういう比較をしてみると日本語の独自な味わいがわかるのである。「白く染めながら」は“touching~white”と旨く訳されているが、やはり原文の美しさにはかなわない。これは決して訳し方がどうのこうのと言っているのではなく、一つの国語にある表現と同じものが他の国語に見当らない例として出しているのである。逆に英語には、日本語のもたぬ強味のあることももちろんである。
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