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中平卓馬をめぐる 50年目の日記
更新日:2019年9月16日 / 新聞掲載日:2019年9月13日(第3306号)

中平卓馬をめぐる 50年目の日記(23)

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中平さんが療養所の「白い風景」を撮っていたと言う頃、『分裂病の少女の手記』を読んでごらんと、強くすすめられた。スイスの心理学者・セシュエーが、ルネと呼ばれる分裂病の少女に精神療法を試みて全快させる経過の記録。ヨーロッパにおける精神分裂病療法の先駆けとなったといわれる研究報告書のひとつだそうだ。とはいえ、その世界を勉強しろと言っているのではないことは分かっていた。中平さんは、自分が写真を撮るときの衝動に似た感覚をその本の中に見つけてそう言ったのだろう。

大冊ではないし、少女自らが精神の状態について赤裸々に書いた内容だったからすぐに読み切れた。読むとほとんど違和感のない話で、少女が一つの世界からもう一つの世界へと入って行く時の感覚には既視感さえあった。微妙なバランスで現実と非現実の境界線上を往き来する私たちの精神の様子を教えられた感じでもあった。

手記は、少女に「それ」があらわれた最初の日の記憶を述べるところから始まっていた。「それ」、つまりある日突然「ある名状しがたい感覚―いうにいわれない、しかしあとになってはあまりにも知りすぎるようになったある感覚、あの『非現実の混乱した感覚』に似た感じ―に襲われたのです」(みすず書房、同書より)という記憶の記述だ。

私は文中の、非現実の感覚が具体的に「ぎらぎらした光、ぴかぴかしていつもつるりとした物体などの要素」に包まれて始まる、と書かれていたところに興味を引かれた。

外人墓地の鉄柵がぎらぎらと光り、石畳の表面がぴかぴかつるりと見えた時、中平さんは少女ルネが立ち入った世界と同じ世界を見る実感に一瞬襲われて、それがスリリングで快感だったのかも知れないと思ったからだ。

その頃の中平さんは、光の乱反射に自分の感覚をさらして発見される、現実感を超えたイメージの収集にのめり込んでいた。まだ「名付けられていない現実」の収集である。

それらは「路上」にはじまり、その後に続く「現代の眼」に掲載された「BIG AGE」シリーズに多く収まっている。

岡田隆彦の監修・構成によるそのシリーズの中平卓馬の写真はとても美しいと思う。「ジャガー」車の曲面のあえかな輝き。帽子屋のショーウィンドーに街の光が反射した「夜」。川崎のフェリーターミナルそばの突堤や、海上に黒煙を吐く貨物船のシーンが写った「文明」。そして駅ホームのスタンドの西日を浴びたニュースペーパーの束の「夏の名残り」……。

それら「光りもの」の美しい写真は、丁寧を極めた作業の成果である。彼の私の部屋での暗室作業は、しぶとかった。

プリントはだいたい昼過ぎには作業を始める。そして夜遅くまでかかった。無言で作業は進み、現像液に浸っている露光済みの印画紙の一部を手分けして一緒に指でこすってそこだけ現像を促進させたりする。それはまるで大きな布の染み抜きをしているような協働作業だった。

プリントの微妙なトーンの部分は、印画紙が乾いてみなければ決めかねることが多い。私は定着液のバットから印画紙を引き揚げ、空のバットに移し替えて部屋の外にある流しに運ぶ。そして水洗を終えたプリントをアイロンプレスのような乾燥器で乾かした。それを白熱灯の下で確認する。多くは「もう少しなんとかしよう」と言うことになって、作業は延々と続くのだった。(やなぎもと・なおみ=写真家・東京造形大学名誉教授)

   (次号へつづく)
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