外山恒一連続インタビューシリーズ「日本学生運動史」 もうひとつの〝東大闘争〟〝東大文学部学部長室占拠〟 事件の発端 「東大反百年闘争」の当事者・森田暁氏に聞く⑯|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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もうひとつの〝東大闘争〟
更新日:2019年9月15日 / 新聞掲載日:2019年9月13日(第3306号)

外山恒一連続インタビューシリーズ「日本学生運動史」
もうひとつの〝東大闘争〟〝東大文学部学部長室占拠〟 事件の発端
「東大反百年闘争」の当事者・森田暁氏に聞く⑯

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明石(本紙編集長) 
〝反東大百年闘争〟についてお話しいただいたんですが、まだよく分からないことがあるんです。東大本郷キャンパスにある文学部長室を占拠していましたよね、長期間にわたって? そんなことが簡単にできるものなんですか?
外山 
 たしかにそれを訊くのを忘れてた。
森田 
 それは東大闘争の時だって、どうしてあんなふうに安田講堂を占拠できたのかよく分からないし、それからさらに一〇年が経ってといっても、普通に考えたら占拠なんかできませんよね。前にも言いましたけれど、ぼくは座り込みの当初からいたわけではなく、後で合流しました。だからH・S君たちから聞いた話を伝えます。どうしたかというと、とにかく文学部長のところに、何か〝申し入れ〟に行くんです。それらしい〝交渉ごと〟を持って行って、「この問題についてどう考えてるんですか?」とか、ああだこうだとその場で粘るんですけど、そのうち話は終わっちゃうでしょ。それでもほくらが帰らずにその場に残っていると、文学部長も他に用事があるから、やがてどっか行っちゃうんです。授業もあるだろうし、会議もあるわけであって、東大の文学部長ぐらいになると、かなり忙しいんじゃないですか。そうなると、「あれ? 文学部長がいなくなっちゃったぞ」って(笑)。「じゃあぼくらはここにいます」と、それぐらいのもんですね。ぼくらは、〝占拠〟とは云わずに、〝座り込み〟って云ってましたね。
明石 
 でも、鍵はどうしたんですか?
外山 
 いや、学部長が在室してて、鍵も開いてる時にまず〝交渉〟として入って、〝単にそのまま居座る〟ってことですよね?
森田 
 そうそう(笑)。
明石 
 なんだか外山さんの『全共闘以後』に出てくる〝北海道庁占拠〟の話と似たような……。その後は、自分たち以外は入れないようにして、学部長も入ってこられないってことになるんですか?
森田 
 いやあ、そこまでの排除はしないし、「入ってくるならばどうぞ」ぐらいの、ユルい感じじゃなかったかなあ。
外山 
 学部長と以後、〝同居〟するわけじゃないんですよね?(笑)学生たちが居座って好き勝手にやってる横で、学部長は仕事をしてるっていう……(笑)。
森田 
 それは、なかったです。しかし学生大会で、あんなに圧倒的に勝っちゃったりすると、当局側としても、ぼくらに手を出しにくいんだろうとは思いますよ。前に話したけれど、〝失火〟についても、本当のところはよく分からないんです。失火なのかもしれないけど、当時の朝日新聞記事でも、不審火が多いと指摘されています。ぼくらを追い出すために放火された可能性だって、たしかになくはない。それ以前から、学内での過激派の活動を許すなという文部省からの圧力は、かなり強くあったはずですしね。  (この項、おわり)

〔付記〕連載の内容について、当時の京大生から事実誤認の指摘を受けました。私の記憶違いがあったようです。

一九七九年一月の全国学生集会の企画は京大ではなく、東大文学部学友会から提案されたとのこと。「日学戦に丸投げ」などしていないこと。「京大一万人集会」などなかったこと。思い直してみれば、これらの指摘はいずれも正しいように思えます。私自身に同学会信仰のようなものがあって、学生運動の総司令塔から宣下がきたように思い込んでしまったのです。

また、「日学戦丸投げ」は誤った表現だったかもしれません。私としては当時、日学戦のK君から全国の大学の活動団体連絡先の膨大なリストを見せられて、日学戦というのはすごい党派だなと感じてしまったため、日学戦主導の印象が強く残っていたのです。たしかに学友会委員長が京都や福岡にオルグに行ったのを憶えています。

一万人集会などありえないのは当たりまえですが、それより数年前の恒例の千人集会があり、私の中の京大に対する妄想から、一万人にまでなってしまったのでしょう。いずれも当時の京大生からの指摘が正しいと思われます。

      (森田記)
【訂正とお詫び】連載第15回(2019年9月6日号)において、「当時の〔東大〕教養学部は〔中略〕結局は闘争にまで持っていけなかった」という森田氏の発言がありましたが、「東大百年反対/反処分」闘争は、その後も民青の牙城教養学部(駒場)においても持続していたこと、また、ノンセクトが獲った自治会数に関する発言に混乱がみられましたが、1980〜81年の時点では文・農・医の三学部と教養学部基礎科学科・教養学科の二学科の計五自治会であったこと、これらの指摘を読者よりいただきました。関係された皆さまに、お詫びして訂正いたします。【編集部】
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