小田実 寄稿 金網の〈なか〉と〈そと〉――“基地”を訪れた眼での戦後日本論 『週刊読書人』1965(昭和40)年2月8日号 1面掲載|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年9月15日 / 新聞掲載日:-0001年11月30日(第562号)

小田実 寄稿
金網の〈なか〉と〈そと〉――“基地”を訪れた眼での戦後日本論
『週刊読書人』1965(昭和40)年2月8日号 1面掲載

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1965(昭和40)年
2月8日号1面より
昨年(1964年)暮れからことしの初めにかけて、作家の小田実氏は、沖縄を訪問してきた。年頭から、氏が新聞に連載した「戦後20年の断面」のための取材を兼ねたものであるが、自らワトソン高等弁務官に会見するなど、“基地・沖縄”が抱える問題を、つぶさに見てきた。一体、基地の金網の中に入った氏の眼に映じたものは何であったろうか。“戦後日本”の矛盾を象徴する沖縄を見てきた氏の感想を寄せてもらった。(編集部)
第1回
君は何者か? 訪問者である

戦後このかた、ことにアメリカ留学を皮切りにさまざまな外国を訪れて帰って来て以来、私がひそかに胸に抱いて来た願望があった。アメリカという、ただそれだけで存在していて、その体内に外国の出店――たとえば、基地というようなものの存在をもたない場所での経験が、いっそうそれを触発したにちがいない。帰国して間もないころ、そう、安保改訂をめぐる風がまるで奇蹟のようにして突然おさまったころ、私はその願望を実現しようとして立川の駅に降りた。

願望はかたちとしてまったくたあいもないものであった。基地は必らずといっていいほど金網がはりめぐらされているが、その金網のなかに入って、基地の《なか》から《そと》を見てみたいという願望がそれだった。

私は駅からまっすぐに基地のゲイトまで歩いて行った。ゲイトのアーチの上に《WELCOME VISITORS》と大きくあった。私はそのときほとんどためらいをおぼえていなかったように思う。私はたしかに《訪問者ビジター》であり、そして、《歓迎ウェルカム》されているものであった。そして、私はアメリカでの生活から、すくなくとも書かれていることは実行できる。あるいは要求していいという習慣を得て来ていたのである。そこへもってきて、私は外国人、ことにアメリカ人に慣れていた。私はゲイトに通じる道をさっさと歩いて行った。

だから、私がそのアーチの下で、米軍の歩哨に呼び止められたとき、むしろ意外な気持がした。日本人のガードもいて、彼も何か言ったのにちがいないのだが、そっちのほうはおぼえていないのは、私にここはアメリカだという無意識な先入観が働いていて、アメリカ人の歩哨の英語に気をとられていたせいだろう。歩哨は尋ねた。「きみは何者か?」私は答えた。「訪問者ビジターである」歩哨はケゲンな顔をし、私は未だにその表情をはっきり記憶している。「何の用か?」「私はなかを見たいのである」私は《なか》(インサイド)ということばに力点をおいてそのことばを言ったように思う。「許可をもらっているか?」「ノウ」「それなら、入れない」私はそくざに気軽な調子で言った。「だって、きみ、上に〈訪問者歓迎〉と書いてあるじゃないか」彼はまたケゲンな顔をしてまじまじと私をみつめ〈それは、たしかに、このジャップめ、少しいかれてるんじゃないか、というみつめ方だった〉それから、ややあわてたふうに言った。「ここにいう訪問者とは『特別の訪問者』である」と。――
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