病む、生きる、身体の歴史 近代病理学の哲学 書評|田中 祐理子(青土社 )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年9月14日 / 新聞掲載日:2019年9月13日(第3306号)

病む、生きる、身体の歴史 近代病理学の哲学 書評
「伝わってしまう歴史」に抗う
恩寵を受けた幸福な書物

病む、生きる、身体の歴史 近代病理学の哲学
著 者:田中 祐理子
出版社:青土社
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 恩寵を受けた幸福な書物があるとすれば、それはこの本だ。なにしろ、著者自身があとがきで「気に入っている」と書いているのだから。本の末尾に本研究の限界だの不十分点の反省だの次の研究の抱負だのを書き付ける大学人風の礼儀作法とはひと味違っている。それだけでも、本書をあなたが手に取るべき理由としては十分だ。

この本は、哲学と科学史を研究する著者が二〇年にわたってさまざまな媒体に発表した近代医学と生物学に関わる書き物を集めている。そして、多彩な題材を、著者が専門とする認識論(エピステモロジー)――近代の科学と哲学の関係を歴史的に理解する学知――を使って料理している。

そうすることで、医学の歴史記述にとどまることなく、身体という具体的なものを扱う「医学という知の辿った道を眺めること」を通じて、いま私たちが慣れ親しんでいるのとは異なる別様の歴史、別様の世界、別様の学知の潜在性を感じさせてくれる。

エピステモローグの先達としてカンギレムとフーコーの名が挙げられていることに示されるように、理論的に見れば本書の論文はすべて「断絶・切断」をめぐる論考として読解できる。事実の集積として否応なく伝わっていく歴史を回顧的にみるとき、しばしば私たちは歴史を連続的で均質な流れと見てしまう。それに抗するのがエピステモローグの勤め。

事実の隙間にある亀裂や断絶や空白が、伝わらなかったもの、忘却されたもの、抹消させられたもの、を救い出す小窓となるのだ。そこに垣間見えるのは予見不可能で骰子一擲のような出来事としての歴史だ。

詳細は本書を読んでいただくしかないが、血管の拍動と心臓、微粒子と微細な生と病原菌、自然の普遍性と個別性、パストゥールとベルナールとコッホ、分類学と臨床(クリニーク)、先進国とサハラ以南のエイズ、ジャネによる治療と近代精神医学、ハンセン病とハンセン病者の身体、「アメリカ」とヨーロッパの科学、等々のテーマにおいて、看過されがちな差異のなかに断絶を見いだす著者の繊細で鮮やかな手つきは、読者にエピステモロジーの享楽を与えてくれる。

そうして描き出される医学史は、予測可能な時間軸に沿って連続的に進行し、真理が誤謬に勝ち誇る歴史ではない。生きているものが疲れ果てて消尽しながらも生き延び、病みつつ壊れかけながら辛うじて生き続ける事態を目の前にして、生きているとはどういうことかを問い続ける反復としての医学史だ。

本書で著者は、恩師がかつての自分を「予言をしない」研究者と評したとのエピソードを紹介している。予言をしないというのは、歴史が連続的な一直線の進歩であるとは考えず別様の歴史に向けてつねに潜在的には開かれていると信じる身振りの現れだ。

だから、本書は予言しないことによってエピステモローグたちの気に入るに違いない、と評者は自信を持って予言することにしよう。
この記事の中でご紹介した本
病む、生きる、身体の歴史 近代病理学の哲学/青土社
病む、生きる、身体の歴史 近代病理学の哲学
著 者:田中 祐理子
出版社:青土社
以下のオンライン書店でご購入できます
「病む、生きる、身体の歴史 近代病理学の哲学」出版社のホームページはこちら
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