夏物語 書評|川上 未映子(文藝春秋)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年9月14日 / 新聞掲載日:2019年9月13日(第3306号)

夏物語 書評
「生むこと」「生まないこと」
「間違った」状態に逸脱していく

夏物語
著 者:川上 未映子
出版社:文藝春秋
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夏物語(川上 未映子)文藝春秋
夏物語
川上 未映子
文藝春秋
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 二〇〇八年の芥川賞受賞作『乳と卵』が長編小説に生まれ変わった。女性の身体や生むことへの問いは、さらに深みを増している。

『乳と卵』で物語の中心にあるのは、豊胸手術をうけに上京した巻子とその娘・緑子の葛藤である。胸の大きさや乳首の色にこだわり、世間一般の美しさに自分を合わせようとしている母が緑子は理解できない。緑子の日記には、母への怒りと、生理、出産といったものへの違和感、疑問が綴られている。緑子は考える。生理が「女になる、ってことになって、女としていのちを生む、とかでっかい気持ちになれるんはなんでやねん」。胸が「大きくなってるのじまんしあってる子もおって、うれしがって、男子もおちょくって、みんなそんなふうになって、なんでそんなんがうれしいの。わたしはへんか?」。みんなが「普通」と考えることへの違和感である。

『夏物語』で描かれるのは、『乳と卵』で主に視点としての役割を担っていた妹の夏子の物語だ。第一部より十年あまり経った二〇一六年夏から二〇一九年夏までが描かれる。

夏目夏子、三十八歳。小説家の夢が叶い、数年前に出した本がそこそこヒットしたが、いまは小説が書けずにいる。編集者の仙川涼子が背中を押してくれるも、小説は一向に進まず、気になっているのは非配偶者間人工授精(AID)。子どもを産みたいが、独り身で、相手もいない。そんな中で選択肢の一つとして浮かび上がったのが精子提供なのだ。夏子はネットブログを閲覧したりシンポジウムを聞きに行ったりして当事者たちの言葉に耳を傾ける。AIDによって生まれ、自分のルーツを辿れない苦しさにもがく逢沢潤と、生むことがはらむ暴力性を訴える善百合子との出会いは、夏子に「生むこと」への倫理問題を考えさせる。

一方で「子どもをつくるのに男の性欲にかかわる必要なんかな」く、AIDも「普通のこと」だと言う同僚の小説家、遊佐リカ。また「子どもが欲しいなんて、なぜそんな凡庸なことを言う」のかと夏子を責め立て、出産なんかより小説に集中すべきだと言う仙川。本書では「生むこと」をめぐる複数の意見がテクスト上に価値判断なしに配置されている。そしてその多様性の中を夏子は横断し、最終的にはあえて「間違うこと」を選択する。夏子の選択は既存のシステムからは逸脱したもの、という意味では「間違い」である。しかしそれは、いいかえれば創造的な現実を生み出そうとすることに他ならない。性の問題としての「生むこと」「生まないこと」というテーマは、「普通」という言葉で秩序づけられた社会に疑問を投げつけるうちに、いつの間にか新しい社会の在り方を「生むこと」につながっていった。

これは、川上未映子の関西弁を織り交ぜる書き方にも通じている。夏子に「全編を大阪弁で小説を書くつもりはないのか」と質問する小説家の遊佐は、関西弁についての自分の思いをこう語る。「そうそう、関西弁ってのは語りのために言葉じたいが進化したっていうか……いや違うな、進化ってんじゃ、じゅうぶんじゃないな、さきに語りがあるんだな、目的として。んでその語りの最高形態を目指すために言葉の体質みたいなものがさ、たとえばイントネーションとか文法とかスピードとかそういうのがどんどん畸形化してって、そのけっか、語られる内容のほうもさらに畸形化していくっていうか」。関西弁をめぐる遊佐のこうした指摘は、『夏物語』にもそっくり当てはまる。いわば、母国語において異邦人となること。既存のシステムにおいて一〇〇%システムに従属するのではなく「間違った」状態に逸脱していくこと。ひとは、ある程度は秩序化したシステムの中で、「普通」に自らを当てはめて同一性を保たずには生きられない。しかし一方で、「普通」には完全に当てはまらないのもまた人間の生である。そのどうしようもない両義性に、言葉で立ち向かって行くこの「畸形化」こそが、川上未映子が本書で目指したところなのだろう。
この記事の中でご紹介した本
夏物語/文藝春秋
夏物語
著 者:川上 未映子
出版社:文藝春秋
以下のオンライン書店でご購入できます
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