読書人紙面掲載 特集

というわけで社会を語る部分と、本を語る部分の両方が本書にはあり、おもに前者について話していきたいと思います。本書が扱った平成最後の一〇年間を、あえて〝三章〟くらいに分けるとすると、二〇一一年の3・11までが最初で、その先の二〇一六年ぐらいに、たとえばフェイクニュースやトランプ米大統領がでてきたあたりで、もうひとつ社会の段落が変わった感じがある。ですので、まず最初に二〇一一年以前はどんな社会だったのか、その辺りからお話しいただけますか。
東日本大震災(二〇一一年)以降、とくに第二次安倍政権(二〇一二年)以降、最近でいえばトランプ政権(二〇一七年)以降、本や人文書界隈が社会をキャッチアップすることが難しくなりました。それゆえに人文書の内容も挑戦的になってきた。なので、社会を知った上で本を位置づけないと、本の意義をうまく人に伝えられないと感じるようになりました。
別の言い方をすると、それ以前は、人文知が蓄積してきた良きものが、いよいよ社会に実装される段階が到来しつつあるという感覚でした。だから人文知の蓄積を人々に紹介しようという意欲がわれわれ三名にあったと思うし、僕自身はそれをかなり意識していました。その意味で、昨今の社会の劣化状況を見るにつけて、人文知って何かの役に立ったのだろうかという焦りを抱かざるをえなくなりました。
日本を含めて人文知を支える書籍マーケットが急速に小さくなり、学術書が四千円を超えるのも当たり前になりました。学生の親からの仕送りがかつての半分以下になった現在ではそんな高価な本を買えないし、バイトで本を読む時間もとれない。今後も人文知とそれを支える本によるプロバイディングのシステムの状況が良くなるとは思えません。全体として現在はそんな流れの中にあるので、われわれの構えも変わったのだと思います。
お読みになるとわかりますが、二〇〇九年の第一回は、「気になる本が本当に少なかった」という宮台さんのつぶやきから始まるんですよね。そのあたりだと、まだ新自由主義や福祉国家とは何かという話に終始している。でも二〇一一年以降になると、日本社会が建前にしているデモクラシーというものが、不思議なかたちに変わってきてしまったということをはじめ、もっと根本的な問題を議論しないといけなくなった。そういう変化がある気がします。
そのことは、書評鼎談としても結果的にはよかったのかもしれません。皮肉なことですが、社会が混迷すると、質の高い議論や分析の鋭いルポルタージュが刊行されるようになり、しゃべる方も熱が入ってくる。振り返ってみるとそんな感じがしますね。
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更新日:2019年9月20日
/ 新聞掲載日:2019年9月20日(第3307号)
宮台真司・苅部直・武田徹鼎談
10年後の未来に向けて、私たちが今できること
『民主主義は不可能なのか?』(読書人)刊行記念
宮台真司氏、苅部直氏、渡辺靖氏による、『週刊読書人』の「年末回顧鼎談」(二〇〇九年から二〇一八年まで掲載)を収録した『民主主義は不可能なのか? コモンセンスが崩壊した世界で』が、このほど読書人より刊行された。刊行を記念して、東京・代官山の蔦屋書店で八月一二日、宮台氏、苅部氏、ならびに武田徹氏による鼎談イベントが行われた。満員の会場で、武田氏の丁寧な司会のもと、豊富なエピソードに触れながら、この十年間の社会情勢の変化を改めて俯瞰する貴重な機会になった。その一部を載録する。 (編集部)
目 次
第1回
3・11以前の社会と人文知
2019年9月20日
第2回
政権交代への期待と失望
2019年9月21日
第3回
産官学の癒着と原発問題
2019年9月22日
第4回
対米・対中外交と外務省
2019年9月23日
第5回
分断の時代、象徴する書物
2019年9月24日
第6回
リベラルの衰退と疑心暗鬼化
2019年9月25日
第7回
民主主義は不可能なのか?
2019年9月26日
第1回
3・11以前の社会と人文知

宮台 真司氏
武田
本書は、宮台さん、苅部さん、渡辺さんが二〇〇九年から二〇一八年まで年毎に鼎談をされてきて、さらに語り下ろしの一章がついているという構成です。そもそもは、年度末にその年の注目すべき本を紹介するという企画で、最初のころは本が話題の中心だった。ただ、苅部さんも「まえがき」に書かれているように、だんだん社会批評的な部分が増えていった。まさにそれはこの本の内容を示していると思います。というわけで社会を語る部分と、本を語る部分の両方が本書にはあり、おもに前者について話していきたいと思います。本書が扱った平成最後の一〇年間を、あえて〝三章〟くらいに分けるとすると、二〇一一年の3・11までが最初で、その先の二〇一六年ぐらいに、たとえばフェイクニュースやトランプ米大統領がでてきたあたりで、もうひとつ社会の段落が変わった感じがある。ですので、まず最初に二〇一一年以前はどんな社会だったのか、その辺りからお話しいただけますか。
宮台
民主党政権ができたのが二〇〇九年で、当初はリベラルな方向に社会がシフトしていくのかなという感覚が確かにありました。ヨーロッパで新自由主義的政権のブームが一段落したし、アメリカでもオバマ政権が誕生した。振り返ると一〇年前は本当にそうだったのかというくらい、今雰囲気が変わった。武田さんのおっしゃったように、あのころは比較的余裕をもって本の話ができました。東日本大震災(二〇一一年)以降、とくに第二次安倍政権(二〇一二年)以降、最近でいえばトランプ政権(二〇一七年)以降、本や人文書界隈が社会をキャッチアップすることが難しくなりました。それゆえに人文書の内容も挑戦的になってきた。なので、社会を知った上で本を位置づけないと、本の意義をうまく人に伝えられないと感じるようになりました。
別の言い方をすると、それ以前は、人文知が蓄積してきた良きものが、いよいよ社会に実装される段階が到来しつつあるという感覚でした。だから人文知の蓄積を人々に紹介しようという意欲がわれわれ三名にあったと思うし、僕自身はそれをかなり意識していました。その意味で、昨今の社会の劣化状況を見るにつけて、人文知って何かの役に立ったのだろうかという焦りを抱かざるをえなくなりました。
日本を含めて人文知を支える書籍マーケットが急速に小さくなり、学術書が四千円を超えるのも当たり前になりました。学生の親からの仕送りがかつての半分以下になった現在ではそんな高価な本を買えないし、バイトで本を読む時間もとれない。今後も人文知とそれを支える本によるプロバイディングのシステムの状況が良くなるとは思えません。全体として現在はそんな流れの中にあるので、われわれの構えも変わったのだと思います。
苅部
武田さんがご紹介くださったように、最初は書評紙の回顧座談会だから、とにかく一冊でも多くの本を挙げながら話をしようという趣旨だったんですね。読み返してみて、最初の方で勝間和代さんの『断る力』まで挙げているのでびっくりしました(笑)。それがしだいに、時事放談風に変わっていった。そういう三人の変化を見るのにも、おもしろい読み物にはなっているかもしれません。お読みになるとわかりますが、二〇〇九年の第一回は、「気になる本が本当に少なかった」という宮台さんのつぶやきから始まるんですよね。そのあたりだと、まだ新自由主義や福祉国家とは何かという話に終始している。でも二〇一一年以降になると、日本社会が建前にしているデモクラシーというものが、不思議なかたちに変わってきてしまったということをはじめ、もっと根本的な問題を議論しないといけなくなった。そういう変化がある気がします。
そのことは、書評鼎談としても結果的にはよかったのかもしれません。皮肉なことですが、社会が混迷すると、質の高い議論や分析の鋭いルポルタージュが刊行されるようになり、しゃべる方も熱が入ってくる。振り返ってみるとそんな感じがしますね。
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