追悼 池内紀 二心なき人、かけがえのない師 小宮 正安|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年9月22日 / 新聞掲載日:2019年9月20日(第3307号)

追悼 池内紀
二心なき人、かけがえのない師
小宮 正安

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若き日の池内紀氏
二心のない人だった。「二心」という言葉を、「人を裏切らない心」という意味だと取ってよければ…。

『海山のあいだ』や『ひとり旅は楽し』に代表される数々のエッセイ。そこには、孤独を肯定し、それを慈しむ著者の思いが刻印されている。実際の池内さんも、まさしくそのような人だった。書かれているものと、実際の人間がけっして乖離することなく、生き方自体がテキストを編み、テキストが生き方を端的に映し出す鏡となった。まただからこそ、読み手もその文章に信頼し、安心して身を預けることができた。

言葉を変えれば、そこには他の誰にも真似のできない、池内さんならではの優しさが満ちていた。しかも、単に文章の上だけにとどまらず、彼に会ったことのある人は、必ずその優しさを知った。それほどまでに、池内さんの優しさは深く、本物だった。

ゆめゆめ誤解してならないのは、その優しさが薄っぺらい「やさしさ」などではなかったこと。彼のエッセイを読めば、よく分かる。ふとした瞬間に甦って来る、愛する肉親を次々と失った若き日の経験が、人間の弱さに限りない共感を寄せる池内さんの優しさの源となった。優しさの裏側にはひそやかな涙があり、また何者にも侵されない強さがあった。そして有限の時間の中で、いかに自分に忠実でありながら人生を愉しむか、というしなやかな知恵も。

その知恵は、池内さんがドイツ文学を研究の核としていたことと、おそらく密接に結びついている。「文学」という呼び名を背負っていながらも、中に分け入れば入るほど、既成の意味での文学という概念では収まりきれない世界。ある時は哲学であり、ある時は評論であり、ある時は漫文や漫筆であり…。『ぼくのドイツ文学講義』や、数多の翻訳書のあとがきを読めば、そんなドイツ文学の真の多様性に池内さんがいかに魅了され、楽しんだかがよく分かる。しかも、研究、エッセイ、評論というきわめて幅広い活動を通じ、自身を育んでくれたドイツ文学の豊かさに、自らの身を以て恩返しをした。

こうした意味で、池内さんは稀代の教え上手でもあった。定年退職を前に東京大学を辞めた経歴のみがクローズアップされるが、自らの学びが与えてくれた関心と感銘について、読み手にきっと確かな教唆を与えてくれた。しかもそれは、池内さんの人柄そのままに、何かを学ぼうとする者に、どこまでも寄り添うものとなっていた。

池内さんの、いわば教員時代の最後の頃に学んだ者として思い出す。けっして、「こうしなさい」とは言わない。拙い知識しか持たない学生にも、「こうしたら?」と必ず問いかける。そして、なにがしかの返答であろうと、最後まで丁寧に耳を傾ける。その姿勢に、「指導」という言葉ほど似合わないものはなかった。ましてや自らの身の丈を知り、それに忠実に生き、権威という得体の知れない魔力と明確な一線を画す生き方に拘った人である。「指導教官」などという重々しいタイトルが当然のように首肯されている権威主義の直中にあって、窮屈で仕方がなかったのだろう。

いや、「指導教官」などというタイトルがあろうがなかろうが、池内さんは必死で学び取ろうとする者に対して常に心を開き、困難の中にあれば力強い手をそっと差し伸べてくれた。今、私がこの場でこのように文章を書いていられるのも、池内さんが二心ない師だったからである。その生き方においても活動においても、彼はかけがえのない師だった。

臆せずに本質へ迫る、衒わずに本質を掴む…。池内さんが教えてくれた、何物にも代えがたい事柄である。のべつ幕なしに騒々しく、心惑わされる世にあって、池内さんは自らの姿勢を貫いた。罵声にも似た「間違いさがし」の狂騒の中で、最後の著作となった『ヒトラーの時代』には、今だからこそ自分自身を見つめてみなさい、との彼のメッセージが脈打っている。声高でも威圧的でもない、だがどこまでもしなやかな強さに溢れたそのメッセージは、池内さんの背中そのものである。(こみや・まさやす=横浜国立大学教授/ヨーロッパ文化史・ドイツ文学)
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