田原総一朗の取材ノート「あいちトリエンナーレ二〇一九」|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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田原総一朗の取材ノート
更新日:2019年9月23日 / 新聞掲載日:2019年9月20日(第3307号)

あいちトリエンナーレ二〇一九

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九月一一日に、名古屋で開かれている「あいちトリエンナーレ二〇一九」を見に行った。「表現の不自由展・その後」は抗議・脅迫電話などが殺到して三日間で中止となり、この出来事に対しては、大村秀章愛知県知事や津田大介芸術監督に多くの批判が浴びせられている。私は、こうした事態になることは予想できたにもかかわらず、あえて開いたことを、「よくやった」と捉えているのだが、「表現の不自由展」のない「トリエンナーレ」を、二時間かけて見てまわって感動した。

アーチストたちは、いずれも生命をかけて、そして持てるエネルギーを出しきっているのである。

それに、津田大介氏が選んだためか、いずれも、アートではあるのだが、主張が極めて明確で、しかもジャーナリスティックなのである。

たとえば、ドローンで、台北の市内を撮影した動画だが、市の中心部なのに、人の姿が全くない。自動車は沢山駐車しているのだが、どの通りにも人の姿が全くない。異様なまでに緊迫した光景である。実は、台湾では、一年に一日、一定の時間、中国が攻撃してきた、つまり非常事態と想定して、外出を全て禁止しているのだという。台湾には、中国が攻撃してくる、という、日本人には想像できない危機感があるのだと痛感した。(袁廣鳴〈ユェン・グァンミン〉「日常演習」)

また、弓指寛治氏の凄まじいいくつもの絵画が展示されていた。二〇一一年の鹿沼市でのクレーン車の事故で六人の小学生の生命が失なわれたのだが、その小学生、一人一人の顔を、見る方が圧倒されるほど力を込めて描いている。小学生一人一人の生への思い、その生を奪うことへの憤りを、身震いするほど感じさせられた。そして、小学生たちの生命を奪ったクレーン車も怖いほど生々しく描かれていた。「トリエンナーレ」では、このコーナーが最も迫力があった。(弓指寛治「輝けるこども」)

ところで、「トリエンナーレ」を見てあらためて感じたのだが、「表現の不自由展」は、わざわざ特別の会場をつくらなくてもよかったのではないか。問題になる展示は少なからずあるのだから…。しかし、今になっていっても仕方がない。これは、願わくば、ではあるが、最後の二日でも三日でも「表現の不自由展」を再開することを期待したい。(たはら・そういちろう=ジャーナリスト)
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