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更新日:2019年9月23日 / 新聞掲載日:2019年9月20日(第3307号)

観る者を圧倒するショットの力強さ タル・ベーラ『サタンタンゴ』

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★9月13日(金)よりシアター・イメージフォーラム、ヒューマントラストシネマ有楽町にて伝説のロードショー!


紙屑や木の葉といった大量のごみが突風で通りの奥へ飛び、そのなかを二人の男が無言で風下に進む。カメラは彼らの背中を追って延々と前進移動をする。この時点では分からないが、二人は死んだ筈のイリミアーシュとその連れのペトリナで、警察署に向かっている。映画は、タル・ベーラの七時間一八分に及ぶ大作『サタンタンゴ』。第二章の冒頭に置かれたこの二分弱のショットが、その信じがたい強度で観る者を圧倒する。ごみが飛ぶ嵐のなかの歩行は、第十一章の冒頭でも反復され、今度はシャニも加わって三人が並んで歩く。このショットも力強く感動的だ。

こうしたショットの力強さはイメージの一次性の意味作用によるものだ。映画ではこの意味作用が決定的な役割を担う。ただし、二次性(二項間)と三次性(三項間)の意味作用もそれに劣らず豊かだ。三次性に注目しよう。第十一章では、三人の歩行のショットに、警察署内の二人の警官を捉える驚異的な長回しが続く。警官たちはイリミアーシュの報告書を清書しているようだ。とはいえ厳密に言えば、二つのショットの関係はそれだけでは、つまり二次性の意味作用では決定できない。第二章で、突風のなかの歩行と警察署が関係づけられたことが、第十一章の二つのショットの関係を明らかにするのだ。警察署の二つのくだりが物語の大きな枠組みをなすことに注意しよう。イリミアーシュは貧しい人々のために農場を作ると言いながら、実は村人たちを使ってスパイ網を組織し、警察に協力する。突風のなかの歩行は三次性の意味作用を通して、物語のこうした核心に結びつくのだ。

時間が何度も遡り、同じ出来事が焦点人物を替えて繰り返し語られる。この奇妙な語りも、三次性の意味作用を複雑かつ豊かにしている。この点で、酒場とその周囲が興味深い。太った医者が部屋の窓から外を眺め、立ち上がるが転んで倒れる。その後、酒場の前で少女に「先生!」と呼び止められると、払いのけようとして再び倒れる。少女はその直前に店の内部を窓越しに覗いていたのだから、ここで窓越しに覗き見をする二人の人物が出会っている訳だ。映画は後に、少女のそれ以前の行動を描く。彼女がシャニの妹だと分かる。母が男と家にいて家に帰れず、少女は隣の建物に忍び込み、猫をいじめて殺す。彼女は死骸を持ってうろつき、酒場で人々が踊るのを覗き、医者に会う。そして翌日、自殺する。再び時間が戻り、今度は酒場の内部が描かれる。少女の母が娘を探しに酒場に来る。客たちは延々と踊り狂い、その様子を少女が覗き見る。ある男が酒場を出て、外で倒れている医者を助ける。酒場の前での医者の転倒は二度、少女による酒場の覗き見は三度描かれ、その度に新たな情報が加わり、三次性の意味作用はより豊かになる。例えば、医者と少女の交錯は、医者の振舞いに関してはすでに部屋での転倒が第三項として作用しているが、少女の振舞いはまだ不明瞭だ。だが、後に少女のそれ以前の行動が描かれる時、その行動が第三項となり、少女の医者に対する振舞いの理由が明らかになる。こうしてイメージは、三次性の意味作用の複雑な組み合わせによって豊かな意味を示す。一次性の意味作用の力強さと三次性の意味作用の豊かさ。その両方が、『サタンタンゴ』を偉大な作品にしている。

今月は他に、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』『火口のふたり』などが面白かった。また、特集上映で観たヤスミン・アフマドの『ムクシン』も良かった。(いとう・ようじ=中央大学教授・フランス文学)
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