政治的省察 政治の根底にあるもの 書評|宇野 邦一(青土社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年9月21日 / 新聞掲載日:2019年9月20日(第3307号)

政治的省察 政治の根底にあるもの 書評
「政治の砂漠」を歩む選択
政治の「現場」に立ち会おうとする意志

政治的省察 政治の根底にあるもの
著 者:宇野 邦一
出版社:青土社
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本書は、ドゥルーズ研究者として知られる宇野邦一の〈政治〉論文集である。いや、そもそもなぜ無でなく〈政治〉があるのか、という問いかけの書である。その背後には「もし政治が死なら、政治が死ななければならない」という限界的な問いが差し迫る。

宇野には、ドゥルーズの、あるいはドゥルーズ/ガタリの政治哲学の展開を期待する読者が多いだろう。たしかに末尾ではわずかに「情動の政治」の問題が提起されており、また第三章では、ピエール・クラストル『国家に抗する社会』が取り上げられ、ドゥルーズ/ガタリの『千のプラトー』の批判と突き合わされたうえで、「国家の〈零度〉」から国家発生のメカニズムをたどる哲学の可能性が引き出されている。

しかしながら本書の中心をなすのはむしろ「悪しきリゾーム」(とおそらくは「悪しき脱構築」)が蔓延しているようにみえる現代の政治世界の「現実」についての省察である。本書の省察が深まるにつれ、文化表象として遍在する「政治的なもの」の「幻想」や「言説」の分析はもちろんのこと、現代のさまざまな政治哲学も、またおそらくフーコーの権力論における「抵抗のコード化」の思想も、宇野の思索の背後で消え去っていく。そして愚直なまでに真摯に、現代のシニシズムについて、憲法について、とりわけ憲法をめぐる江藤淳や加藤典洋の分析について、民衆について、民主主義について、「最悪の政治」について問いかけていく。その足取りはほとんどたどたどしいものだが、そこに「政治の砂漠(アレント)」を歩もうとする宇野の選択がある。本書には、リアリズムとはもっとも遠い場所において、政治の「現実」の発生現場に立ち会おうとする意志があるのだ。

宇野自身が述べているように、この歩みを突き動かしているのは、まずは、ハンナ・アレントの「公共性」の思想を、たんなる理念としてではなく、分散と複数化の原理として「現実」に働かそうとする試みである。そしてまた、〈自己について真理を語る主体〉について思索していた、『生者たちの統治』から『肉の告白』にいたる晩年のフーコーについての共感である。とりわけ後者において論じられる、アウグスティヌスにおける「意志への非意志の侵入」の問いと、アレントの思想との突き合わせが興味深い。

このことはいくら強調しても足りないが、自己と自己との関係の技法は、権力諸関係とまったく異なったモードで作動する。この関係の狭間で演じられる、危険に満ちた「振る舞い」の哲学に、晩年のフーコーは没入していく。それは「真理の政治」の「アナルケオロジー(無政府主義的アルケオロジー)」と呼ばれる。宇野もまた彼なりのやりかたで、〈政治の外部〉と〈外部の政治〉の交差点に、政治の「現実」を求めることへと、孤独に旅立ってゆこうとするようだ。彼にとってはドゥルーズ/ガタリを振り返ることはもはや必要ないのではないだろうか。
この記事の中でご紹介した本
政治的省察 政治の根底にあるもの/青土社
政治的省察 政治の根底にあるもの
著 者:宇野 邦一
出版社:青土社
以下のオンライン書店でご購入できます
「政治的省察 政治の根底にあるもの」出版社のホームページはこちら
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