書と思想 歴史上の人物から見る日中書法文化 書評|松宮 貴之(東方書店)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年9月28日 / 新聞掲載日:2019年9月27日(第3308号)

書と思想 歴史上の人物から見る日中書法文化 書評
東アジア書道史への視座
時代や思想と拮抗する「書」の表象と痕跡

書と思想 歴史上の人物から見る日中書法文化
著 者:松宮 貴之
出版社:東方書店
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 現代の情報化社会にあっては、パソコン、インターネット、スマホなどが最早、いわば身体の延長とも言うべき必携のツールとなり、日常的な書字行為は、肉筆による署名などの際を除いては、稀少な身体行為と化しつつある。それは、身体表現としての「書」が、文化や文明の大きな根幹を形成してきた、日本を含む東アジアにおいても同断である。本書は、既に『中国の政治家と書』『政治家と書』『書論の文化史』(以上、雄山閣)、『なぜ書には、人の内面が表れるのか』(祥伝社新書)など、多くの問題提起の書を上梓されてきた気鋭の書家にして、書論家による日中の書法文化への道案内であり、導きの書(チチェローネ)である。著者によれば、たんなるパフォーマンスとしての即物的なアート化は、「書」とは言えず、むしろ「書の否定」ですらある。「書」とは、たんなる造形芸術ではなく、当人の人品骨柄や教養が表出される在処であり、そこには、ある種の時代精神の如きものまで宿るのである。かかる前提に立って、著者は、中国と日本の歴代の能書家の生涯と作品などを幅広く概観するのだが、動もすれば、そうした時代精神一般の反映として、「書」の歴史を捉え過ぎている嫌いも無しとはしない。しかるに、著者の本意は、各々の時代に支配的な思想と作家固有のそれとが、時に拮抗し合い、混淆しつつ、表象された「思惟の痕跡」として、数多の「書」を跡づけ、俯瞰する点にこそあろう。

限られた紙幅の中で、この豊饒な書物を評することは、極めて困難を伴うが、類書に比した場合、まずは、幾つかの特筆すべき特徴を挙げることが出来よう。まずは、中国を中心としつつも、日本を含む東アジア全体を環流する構造の中で、近代にまで至る書法史が総体として捉えられていること、取り分け、白川静や梅原猛らの影響の下、古代や中世においては、「書」が鎮魂や呪詛、祭祀との関わりなど、ある種の宗教性を帯びて立ち現れることの指摘、経学を根幹とする学問や政治、歴史との深い契合の関係への視点、そこにおける「実」と「虚」との相克と混淆、清朝の阮元によって主唱され、包世臣らへと展開する所謂「北碑南帖」論など、書道史においては半ば常識と化した書論への深い理解を伴った、一定の疑義や修正など、時に賛否はあろうが、傾聴に値する多くの卓見に富んでいる。個人的には、三筆の一人で、最澄や空海を庇護した嵯峨天皇が、東海の地に中華を顕現させようと試み、伏見天皇が日本の帝王書学を構築せんとしたとの指摘、明代の董其昌や江戸期の北島雪山、更には近代の富岡鉄斎らに、禅と陽明学の融合した姿を見る辺りに、それぞれ深い感興を覚えた。書道史においては、知る人ぞ知る存在ではあっても、一般の読者には些か馴染みの薄い、日下部鳴鶴や沈曾植ら、近代において東洋思想を骨肉化した書家の風貌姿勢、更には副島種臣、蔣介石、郭沫若から毛沢東に至る、転変する歴史や政治と切り結んだ「書」の躍動などもまた、読者の興趣を惹こう。
この記事の中でご紹介した本
書と思想 歴史上の人物から見る日中書法文化/東方書店
書と思想 歴史上の人物から見る日中書法文化
著 者:松宮 貴之
出版社:東方書店
「書と思想 歴史上の人物から見る日中書法文化」は以下からご購入できます
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