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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年9月28日 / 新聞掲載日:2019年9月27日(第3308号)

アメリカ紀行 書評
与えられた環境のなかでどのように生のスタイルを適合させうるのか

アメリカ紀行
著 者:千葉 雅也
出版社:文藝春秋
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アメリカ紀行(千葉 雅也)文藝春秋
アメリカ紀行
千葉 雅也
文藝春秋
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 アメリカ滞在記の体裁をとりつつ、著者は一貫して「儀礼」を考え続ける。挨拶、食事、議論、街や店、思想や政治、それらすべてに染み込む儀礼。それを行う意味がわからないにもかかわらず、そうしなければならないと感じられる一連の行為。国や社会集団が違えば著しくそのやり方が異なり、時には摩擦を、また別の時には知的関心を喚起するその対象に著者のまなざしは注がれる。

儀礼とは自己と他者との間にだけあるものではない。それは自己と自己との間にも存在する。本書でもっとも頻繁に言及されるのは食事だ。バジルソースのチキンのバニーニ始まり、カキフライ定食に終わる本書での食事への仔細な言及は時に煩わしくさえある。だがそれは必然だ。食事とは自己の生を保つ供犠であるからだ。食や睡眠、性への関心を著者は疎かにすることがない。儀礼としての生のスタイルへの固執が、本書を独自の一貫した思索としている。「僕は日本の生活のなかで、コンビニとか、和食の儀礼的な面などから、自覚せずに「聖なるもの」を補給していたのだと気づく」(二六頁)「僕がいま何を食べたいのかといえば、聖なるものを食べたいのだ」(二七頁)

保険の加入と小切手、家探し、停電や警報機のトラブル、トレーニングジムへの入会。それら社会的手続に伴う儀礼への思索が、思わぬかたちで思弁的実在論やジェンダー論と繋がっていく。その繋がりは決してシームレスではなく、むしろでこぼこと突発的に挟み込まれる。儀礼とは「切断」であるからだ。それは生の流れを思わぬかたちで切り離しつつ別のあり方に繋げ直す。その細部を著者は丹念に追う。

本書は決してアメリカ文化論ではない(そのようにも読むことはもちろん可能だが)。アメリカと日本との比較考察が本書の目的なのではない。コーヒーショップでの注文で幾度もファーストネームを問われ、しまいにはMasayaからDavidへと儀礼的に「変身」する著者。与えられた環境のなかでどのように生のスタイルを適合させうるのか、いかに自己と世界への配慮を滞りなく行いうるのか、そのことこそが本書の関心の中核にある。

与えられた環境への怜悧な視線の透徹は、ひるがえって例えば「コンドームを被っているような状態」として紹介される日本(六一頁)のような卓抜な比喩を生む。包装されたわれわれの国。「アメリカで僕は、包装するということ自体について考えていたのだろう。包装とは儀礼だ」(一八四頁)と述べる最終節を読み終えた上で再び冒頭に戻ると、アメリカの教会で神を媒介に人々が愛を分かち合う「おきまりの儀礼」の描写に再会するだろう。「僕は、人間に占拠された空間から押し出されるひとかたまりの空気だった」(一〇頁)というくだりをもって本書の円環は閉じられる。「包装された空気」としてどう生きうるか。日本語圏の読者に著者が示すのはそのような問いであり、本書はその一つのありようを提示する。
この記事の中でご紹介した本
アメリカ紀行/文藝春秋
アメリカ紀行
著 者:千葉 雅也
出版社:文藝春秋
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