アーモンド 書評|ソン・ウォンピョン(祥伝社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年9月28日 / 新聞掲載日:2019年9月27日(第3308号)

アーモンド 書評
頭の中のアーモンド(扁桃体)
この小さな器官に宇宙の深淵を見る

アーモンド
著 者:ソン・ウォンピョン、矢島 暁子
出版社:祥伝社
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 表紙に大きく描かれた少年の顔。不機嫌でも、陰鬱というのでもない。無表情。そう、何も感じていない顔。この小説の主人公・ユンジェは、「感情」を持たずに生まれてきたのだ。

アレキシサイミア(失感情症)と呼ばれるもので、実際に存在する症状だ。ユンジェが感情を持たないのは、「先天的に僕の頭の中のアーモンド、つまり扁桃体が小さいうえに、大脳辺縁系と前頭葉の間の連絡がうまくいかない」ことが原因であるとされ、そのために「感情をあまり感じることができず、人の感情がよく読めず、感情の名前がごちゃごちゃになってしまう」と説明される。

それゆえ、ユンジェは周囲から誤解を受けやすい。笑わないし、怒らないし、目の前で人が殴られていても、殴られているということは理解できても善し悪しの判断はおろか何も感じないのだから、ただ傍観しているだけとなる。

そんなユンジェを、シングルマザーの母とその母親である祖母は根気よく育ててきた。感情を持たなくても一般社会で「普通に見える」ように仕込み、ユンジェは学校生活もこなしてきた。

だが、事件が起こる。通り魔に襲われ、目の前で母と祖母が刺されてしまうのだ。その時も彼は無表情でそこに突っ立っていた。もちろん彼の中では、恐怖も驚きも、哀しみの感情さえも起こらなかった。祖母は亡くなり、母は植物状態となる。そこからユンジェは、傍目には試練を強いられる。

前半は、「感情」がわからないという主人公の心の在りようを丁寧に描く。物語が大きく動くのは、ゴニという少年が登場してからだ。ゴニは、暴力的で感情のコントールが利かない「怪物」だった。やはり「怪物」とあだ名されていたユンジェとゴニは、はじかれた者同士、互いに干渉し合うようになる。

わかりやすい友情とは異なる、ユンジェとゴニの関係性がユニークだ。ゴニは容赦なくユンジェを攻撃するが、何しろユンジェは動じない。怯えも恐れもしないユンジェには、暴力という自己顕示が通じないのだ。一方のユンジェは、本当は愛に飢えているゴニの本質を見抜き、彼に働きかける。それは、ゴニの心を直に触ることであり、ユンジェにとっても変化、成長だった。

「感情」がわからないということを表現することの難しさを、ユンジェ自身を語りにすることで作者は巧みに克服している。「感情」という器の中身ではなく器そのものの形、輪郭を正確に描写することで、「現象とは別にある意味」を理解しないユンジェの物事のとらえ方が感覚的に伝わってくる。

ユンジェが「恋」を覚えて演じる、きわめて即物的なラブシーンなど微笑ましい場面も織り交ぜられるが、この物語が本質的に伝えようとしているのは、コミュニケーションとは本来齟齬であるということと、人は、他者によって照らされる存在だということなのだろう。
「ある瞬間、文字は文字を超え、単語は単語を超える。何の意味もない、宇宙人の言葉のように聞こえる。そうなってくると、ずっと遠くにあって僕には感じ取るのが難しい、愛とか永遠とかいうものが、逆に近づいてくるようにも感じられた」というユンジェの実感は、かの井筒俊彦が『意識と本質』で説いた、実在を呼び起こす「コトバ」そのもののようにも感じられる。

誰もが二つ、頭の中に持っているアーモンド(扁桃体)。この小さな器官に宇宙の深淵を見るような思いがした。フェミニズムだけではない、骨太な韓国文学の書き手の誕生に心が躍る。
この記事の中でご紹介した本
アーモンド/祥伝社
アーモンド
著 者:ソン・ウォンピョン、矢島 暁子
出版社:祥伝社
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