黒古一夫近現代作家論集第2巻 書評|黒古 一夫( アーツアンドクラフツ )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年9月28日 / 新聞掲載日:2019年9月27日(第3308号)

黒古一夫近現代作家論集第2巻 書評
文芸批評、四〇年間の成果が結実 
『黒古一夫 近現代作家論集』刊行開始―大江健三郎論・林京子論―

黒古一夫近現代作家論集第2巻
著 者:黒古 一夫
出版社: アーツアンドクラフツ
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 今、作家論がみなおされている。

作家の生い立ち、家族関係や交友関係などをあつめた作家像ではない。また、よく知られた作品の概要をならべただけの作家像でもない。

書くこと表現することの選択からはじまり、一つひとつの言葉の選択から物語の選択へ。それらをとおした社会的かつ歴史的ポジションの選択へ、そしてふたたび書くこと表現することの選択へ。こうした能動的な選択の総体としての作家、すなわち主体的かつ個人的な選択の行為者としての作家への関心がたかまりをみせている。

一九八〇年代からずっと、言語・記号体系のなかで「書かされている」「選ばされている」という受動意識のつよい時代が、だらだらとつづいてきた。そんな時代を断ち切るきっかけになったのが、三・一一原発震災であり、「新たな戦前」を強引にたぐりよせるナショナリストたちの政治である。危機の事態に抗い、「書く」「選ぶ」という積極的で主体的な姿勢を前面にだす作家たちが声をあげはじめる。そんな能動的な作家たちにうながされ、従来の作家たちの能動性もみなおされる。マンガやゲームにまでひろがった「文豪」ブームでも、特異な能力を駆使する作家たちが溌溂と活躍している――。

『黒古一夫 近現代作家論集』の刊行が始まった。

第1巻の北村透谷論・小熊秀雄論から、第2巻の大江健三郎論・林京子論、第3巻の村上春樹論、第4巻の村上龍論・立松和平論、第5巻の小田実論・野間宏論・辻井喬論、第6巻の三浦綾子論・灰谷健次郎論・井伏鱒二論までの全6巻である。

黒古一夫は作家論を軸に多くの文芸評論を書き、文学研究をつづけてきた。最初の著作が書き下ろし作家論『北村透谷論 天空への渇望』(一九七九年)であったから、近現代作家論集全6巻はこの四〇年間の作家論のベスト・セレクションになっている。

北村透谷論の書き下ろしが一九七九年であったのは、注目に値しよう。変わらぬ社会と政治が作家をとらえはじめた時代の入り口で、黒古一夫は、政治的挫折を文学的な出発へと転じた近代最初の文学者北村透谷を称揚したのである。作家論が成立しがたくなり、漫然としたテクスト論や文化研究へと文学論の主流が移っていく時代に、きわめつきの作家論をつきつけ黒古一夫の文芸評論は始まったといってよい。以後四〇年、黒古一夫の作家論の姿勢はいささかのブレもなく、むしろ確信にみちたものとなり、この近現代作家論集全6巻に結実したことになる。

最初の配本が大江健三郎論と林京子論を収めた第2巻なのは、偶然かも知れぬが、近現代作家論集の始まりとして意義のあるものとなった。黒古一夫にはこれまで四冊の大江健三郎の名をかかげた著作がある。小田切秀雄門下の研究者としてスタートした黒古一夫は、能動的かつ主体的な第一次戦後派の文学者を先達としていたが、それらの文学者の試みと姿勢を高度経済成長期のただなかで継承し発展させる同時代人として大江健三郎につよい関心をよせていた。しかし、関心だけでは作家論は成立しない。能動的な作家を能動的に選択する論者のかかわりこそがなければならない。

第2巻の「うしろがき」では、最初の大江健三郎論(『大江健三郎論――森の思想と生き方の原理』一九八九年)を書きあぐねていたとき、出たばかりの『「最後の小説」』の巻末に収録されていた戯曲「革命女性」と出会った際の衝撃が語られている。連合赤軍のリーダー永田洋子をモデルにしたこの戯曲の最後には、「有ったことを無かったことにしてはいけない」という老婦人の声が響く。この声を聞いたとき、黒古一夫のなかで思いがはじけた。「学生時代に『今とは違う理想の世界=ユートピア』を夢見て『変革』を願い、権力と対峙し『挫折=転向』した私たちに、『その後の生き方』のあるべき姿を指し示してくれるもの、と私には思えた」。論者の能動的なかかわりが、作家の能動性をより鮮明にするのだ。

黒古一夫にとって大江健三郎は、生き方はもとより、政治へのかかわり、文学のとらえかた、新たな文学・文化理論へのとりくみ、核時代への絶えざる抗いなど、もっとも共感する同時代人であり、今もありつづけているにちがいない。

本書に収められた大江健三郎論が、文学、社会、政治、理論の全体性をたえず意識した見通しのよい論になっているのに対し、林京子論は反対に作品の言葉、細部の一つひとつにこだわり精緻な読みをくりひろげて、息詰まるような切迫感をもたらす。そんな読みから、八月九日の長崎での被爆体験が、被爆者として生きつづけてきた戦後の日々がたちあがり、さらにはもうひとつの原点としての上海体験がそれらと束ねられる。ここからもまた、選びつづけ書きつづける能動的かつ主体的な作家の姿が、くっきりとうかびあがる。大江健三郎論と林京子論は、黒古一夫の作家論の両輪といえようか。

今、作家論がみなおされている。みなおしが一過的で表面的なものにならぬためにも、『黒古一夫 近現代作家論集』全6巻はぜひとも読まれねばならない。
この記事の中でご紹介した本
黒古一夫近現代作家論集第2巻/ アーツアンドクラフツ
黒古一夫近現代作家論集第2巻
著 者:黒古 一夫
出版社: アーツアンドクラフツ
以下のオンライン書店でご購入できます
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