今官一/山内祥史/長篠康一郎 特集 太宰治――歿後25年に寄せて 『週刊読書人』1973(昭和48)年6月18日号 1、3面掲載|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年9月29日 / 新聞掲載日:-0001年11月30日(第982号)

今官一/山内祥史/長篠康一郎
特集 太宰治――歿後25年に寄せて
『週刊読書人』1973(昭和48)年6月18日号 1、3面掲載

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1973(昭和48)年
6月18日号1面より
昭和二十三年六月十三日深更。太宰治が愛人とともに玉川上水に身を投じ、三十九年の生涯を閉じてから、ことしは二十五年目にあたる。遺体の発見された同月十九日は、奇しくも太宰治の誕生日にあたっていた。翌年から毎年その日を記念して催される桜桃忌には、その墓所の三鷹・禅林寺に多くの太宰ファンたちがつめかける。
太宰治の人気は、死後四半世紀の歳月をへてますます高まり、著書はなおたくさんの愛読者を惹きつけ、その人と文学に対する研究は年々深まりをみせている。そこで、太宰治歿後二十五年を記念して本号は「太宰治特集」をおくることにした。(編集部)
第1回
太宰の青春 亡きわが友を偲んで(前)/今官一

拡大された自分の影が

「晩年」の出版記念会の席上で、御指名により私は演説をぶった。議事が相当に進んだ後だったので、主席はいちおう騒然としていた。話す方も聴かされる方も、いちおうそういう騒然状態だったから、私は、それっきり何をしゃべったか忘れていたし、聴手の人たちも多分忘れてしまっただろうと、つい此の間までそう思っていた。
ところが、つい先日、小野正文の太宰関係の本を読んでいたら、今官一はあのときアルプスかどこかの山の怪獣の話をした――と書いてあった。そうすると不思議なもので、まるっきり忘れていたと思っていた不忍池畔の精養軒で私がぶったはれがましい演説のいちぶしじゅうが、ありありと思い出されてきた。
なんと、あれは「ブロッケン山の巨人」という怪物の話だったのである。当時、私が愛読していた少年科学雑誌にのっていたのだ。アルプスかどこかは思い出せないが、ブロッケン山という山にのぼると、霧か雲かの上に、とつぜん光線の関係で、何倍にも拡大された自分の影法師が、すっくと立上がったように映るのだそうだ。とつぜんのことで仰天した登山者は、自分の影とも知らずに、行手に巨人が立ちふさがった思いで、尻もちをついたり逃げ帰ったりしたそうだ―という風に雑誌には書いてあった。
私は、それを当時の「私の太宰論」に利用したのである。われわれは太宰の小説に驚嘆するが、よくよくみると、あれはわれわれの拡大された影ではないか。われわれが太宰に共感するのもそのためだし、反発するとすれば、それも拡大されたことへの反発である。太宰には、そういう光線とレンズとスクリーンがあって、われわれには、ない。そこらがわれわれと太宰のちがいであろう――というのが、たしか、大演説の論旨であった。

青春だけに通ずる伝説

いまから考えると、なにもかも至極あたりまえで、わざわざブロッケン山などへ登る必要もないのだが、そうしていま、「お前にとって、太宰とは、いったいなにだったのか」と訊かれても、この答は変らないのだが――彼の死後、もう四半世紀も生きのびて、頽齢のきざしはなはだしいおりに、ふと思うことは、あれはあれでいいのだが、若干の修正が必要なのではなかろうかということである。たとえば、それらを箇条書きに並べてみると

(1)あれはわれわれの青春にだけ通用する論旨ではなかったかということ
(2)影の映るスクリーンの霧や雲の微粒子に濃淡のムラがなかっただろうかということ。
(3)あれが「われわれ」の影法師だとしたら、光体となる彼自身は、どこに影を映すのかということ。

などなどである。(1)については、年毎に度の強くなって行く老眼鏡の眼をいたわりながら、「われわれ」が共感したころの太宰作品を読んで、しばしばおそわれる疑問である。「われわれ」が、「われわれ」の憤りや怒り悲しみの拡大された影だと読んで共感した拍手した巨人が、ときどき私には滑稽にみえることさえある。あんなことで、怒ることもなかった、泣くこともなかった――若サダヨ、ヤマチャンと、すでに若さも純粋さも失った凡俗の心で、私は眼をしばたきながらメガネを外すのである。そういうときに、私は、あれは「ブロッケンの巨人」は、青春だけに通ずる伝説なのではないだろうかと、しばしば思うのである。そうして私は「太宰作品は、われわれの《青春》にとっては、ブロッケン山影の巨人《であった》」と修正すべきではなかろうかと、つい考えこんで了うのである。
(2)と(3)は、(1)を考えたあとで、すぐ出てくる疑問である。「私にとって」「われわれの」という考えの中には「私」のほかにも、「われわれ」のほかにも、まだ「あなた」や「君」や「お前」や「お前たち」「君ら」の「青春」や「人生」が組みこまれている筈だからである。「私」にとって「青春」であるものが、「あなた」にとって「老年」であるかもしれないし、また「零歳」であるかもしれないのだ。津軽の梵珠山は、その足下で少年時代をおくった「私」にとっては、かけがえのない、リアルな人生の投影だが、津軽を「津軽」でしか知らない「あなた」には、ブロッケン山の霧よりも稀薄な、エーテルのような実体なのかもしれない。
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