監獄と流刑 イヴァーノフ=ラズームニク回想記 書評|イヴァーノフ=ラズームニク(成文社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2016年12月2日 / 新聞掲載日:2016年12月2日(第3167号)

監獄と流刑 イヴァーノフ=ラズームニク回想記 書評
ソ連における獄中体験手記の先駆
取調官とのやり取りを克明に回想している点が興味深い

監獄と流刑 イヴァーノフ=ラズームニク回想記
出版社:成文社
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イヴァーノフ=ラズームニクは、帝政ロシアとソ連の両時代を生きた作家、文学評論家、社会思想家である。日本ではあまり知名度は高くないが、大著『ロシア社会思想史』(原書一九〇七年)等がすでに邦訳されている。彼は共産主義の掲げた無階級社会の実現と国家の廃絶という理念に共鳴しつつも、マルクス主義、ボリシェヴィズムではなくてナロードニキ主義とヒューマニズムの立場に身を置き続けていた。そのため帝政ロシアではもとよりソヴィエト権力下でも度重なる逮捕と投獄の憂き目にあった。

本書はラズームニクの投獄・流刑の回想記であり、原書は一九五三年にニューヨークで版されているが、ロシア国内で出版されるのは二〇〇〇年になってからである。彼はまず大学生であった帝政時代に首都ペテルブルクでデモに参加して、逮捕・投獄され(一九〇一年)、翌年、クリミアのシンフェローポリに追放(流刑)されている。元々、ラズームニクは物理学を専攻する大学生で指導教員から研究者としての将来を期待されていたのだが、流刑と放校処分が、彼をして文学者としての多難な道のりと数奇な運命に向かわせた。そして、ロシア革命時代、ラズームニクは、ソヴィエト権力においてボリシェヴィキと連立を組んだエスエル左派のシンパ(党員ではなかった)として文芸活動をしていたが、エスエル左派が内戦時代にボリシェヴィキに反旗を翻したこともあって、彼は一九一九年にチェーカー(反革命取締非常委員会)に逮捕され、度重なる取調を受ける。以後もラズームニクは「エスエル左派の残党」とみなされ、さらに発言や執筆内容が反ボリシェヴィキ的、反ソヴィエト的とされ、一九三三年には、ナロードニキ主義の思想的・組織的中心として、チェーカーの後身オーゲーペーウー(合同国家政治保安部)に逮捕され、後にサラトフに流刑処分にされる。一九三六年にエヌカーヴェーデー(連邦内務人民委員部)によって釈放されているが、翌年に、スターリンの「大テロル」の余波で再度エヌカーヴェーデーに逮捕される。長期にわたる尋問を経て、当時としては幸運なことに、約二年後の三九年に釈放される。しかし波乱は終わらなかった。直後の独ソ戦の勃発とともに、ラズームニクの居住地であったレニングラード近郊がドイツ軍の支配下に入り、ポーランドの収容所に移送され後、リトアニアの従兄弟宅に身を寄せた。しかし、ソ連軍がやってきて、戦火を逃れて最終的にミュンヘンの親類宅に移ったものの、脳溢血で倒れ六七歳で世を去った(一九四六年)。

獄中あるいは収容所体験の文学作品としては、古くからドストエフスキー『死の家の記録』などが知られているが、ソ連(一部帝政ロシア)における獄中体験の手記という点で本書は、後のソルジェニーツィンやジャック・ロッシの著作の先駆ともいえる。

なお評者の私は、文学・思想の専門家ではなく、法学畑に属しているが、法的側面からみても、本書で回想されている逮捕、取調の経緯は興味深いものである。そもそもラズームニクは、一度も正規の裁判を受けることなく、長期にわたる未決勾留と流刑処分を受けている。元々、ソ連の刑事手続制度が、それらを可能にしていた。「判決を言い渡す」といった下りも登場するが、裁判官ではなく予審の取調官がそのように宣言しており、しかも一九三九年に「釈放」されたときも、「捜査打切り」のためであった。彼は、いちども「有罪判決」を得ることなく、かといって「無罪判決」を得ることもなかったのである。

本書には数多くの取調官が登場し、取調官によってラズームニクに告げられる「反革命」容疑の数々は、まさに彼自身にとってファンタスティックな内容だが、そのファンタスティックな度合いは、スターリン大テロル時代になるとますます強まってくる。本書に登場する一人一人の取調官の個性も興味深く、ここまでソヴィエトの取調官とのやり取りを克明に回想している類書を寡聞にして知らない。革命と戦時共産主義の時代の歴代取調官の中には、ラズームニクに「敬意」を払う取調官(実はラズームニクと対面したジェルジンスキー初代チェーカー長官もそうだった)や、彼に同情的な取調官、彼の著作をきちんと読んでいる取調官、ソヴィエト権力の「敵」の思想潮流に通暁した取調官もいたが、スターリン時代になるに従って、今風にいうと、取調官がますます「反知性主義的」になっていく。例えば、著作内容の「反革命」の嫌疑に対して、著作の内容をよく読んでほしいとラズームニクが懇願すると、取調官は「我々におよそ反革命的たわ言など読む時間があると思っているのか!」という(読む時間がないのになぜ「反革命」だとわかるのだろうか)。確か、ソルジェニーツィンンの『収容所群島』に出てくる「反革命」の被疑者も、「何の罪が着せられているのか該当する法律条文を読ませて欲しい」と懇願すると、取調官が「法律はお前らのためではなく我々のためにある」と言い放ったというエピソードがある。

ラズームニクの取調官達は、各種「反革命」陰謀を本気で信じていたかのようである。ただし、エスエルの残党による反革命テロ組織の設立に関する準備行為といった類の嫌疑が、筋書きとしては無理があるため、いつしか法は(ありもしない)「行為」よりも「思想」を問題にするようになっていくのである。かくして、当時のソヴィエトでは、ナロードニキ主義なりエスエルの思想傾向が、(当時の用語でいうと)「社会的危険性」とみなされ、ラズームニクに科された制裁は、予防拘禁的なものであった。こうした不条理の積み重ねの中で平静さと理知を保つのは、容易ではなかったであろう。(松原広志訳)
この記事の中でご紹介した本
監獄と流刑  イヴァーノフ=ラズームニク回想記/成文社
監獄と流刑 イヴァーノフ=ラズームニク回想記
著 者:イヴァーノフ=ラズームニク
出版社:成文社
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