川嶋 至 寄稿 閉塞情況を打ち破る活路――無頼派作家の現代に生きる意味 『週刊読書人』1973(昭和48)年4月30日号 1面掲載|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年10月6日 / 新聞掲載日:-0001年11月30日(第975号)

川嶋 至 寄稿
閉塞情況を打ち破る活路――無頼派作家の現代に生きる意味
『週刊読書人』1973(昭和48)年4月30日号 1面掲載

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1973(昭和48)年
4月30日号1面より
現代文学の衰弱がとなえられている。それにはさまざまな原因が考えられるが、察kあにおける精神の衰弱もその一つであろう。一方では〈無頼派〉である太宰治、坂口安吾の小説がロングセラーを続けており、関係書の出版も後を絶たない。〈無頼派〉は現代文学の喪失した本質的な何かを持っているのだろうか。川嶋至氏に、そういった情況に照明を当ててもらった。(編集部)
第1回
現代小説への不信の念

『群像』(四月号)が「現代小説の読みかた」という特集を行った。あらためて「読みかた」を考えなおさねばならぬほど、現代小説は悲惨な袋小路に追いこまれているのである。月々大量に生産される小説という名の活字の羅列が、その生産者に反比例するかのように、かつてもっていたはずの実質を喪失していく光景は、多少とも現代小説にまともにつきあおうとした読者なら、誰もが目撃しているところであろう。

文学運動どころか、ちょっとした文学論争さえもいっこうに起こる気配のない、一見平和な無風状態のなかで、苛酷なジャーナリズムの要請に応じて、小羊のごとき小説家は黙々と原稿用紙を埋めている。彼らは書きたいという欲求など、とうの間に失っているのだ。読者の方も、さして期待はしていない。毎朝新聞を開くように、読書習慣として、毎月文芸誌のページをめくるだけである。そして猛々しい小説家は、いっこうに作品を発表しようとしない。文芸時評家が月ごとにもらす現代小説への嘆き声は、けっして単なる職業的な挨拶としてだけ葬り去ることはできないのである。

こうした現代小説の実状が、捉えどころのない現代という時代の反映であるといったような議論はさておき、この現代小説への不信の念は、読者の眼をかつて明確なかたちをもって存在したはずの過去の小説に向けさせるという、ひとつの現象となって現れている。現代小説に深くかかわろうとする激しい情熱から出発した多くの批評家たちが、自己の思想と感情を盛る対象を、現代に発見できず、次第に夏目漱石や森鴎外をはじめとする、濃密な実在感をもって屹立する近代作家たちの上に求めていったのも、そのためであろう。批評家もつまるところ、読者のひとりである。混迷のなかから予見への指針を求めて、かつて確かな手ざわりで実感できた小説の世界のありようをもう一度確かめようとするのは、ことの成否は別として、賢明なやり方である。

この方向に添って、この四、五年にわかに注目を集めているものに、無頼派の作者たちがある。相次ぐ無頼派作家の個人全集刊行、それにおびただしい数の評論・評伝・研究書のたぐいや諸誌紙における無頼派特集は、彼らに対する最近の関心の高まりを示している。無頼派の復権は可能かといった議論も、すでに耳新しいものとは感じられなくなった。
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