歴史家ミシュレの誕生 歴史学徒がミシュレから何を学んだか 書評|立川 孝一(藤原書店)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年10月5日 / 新聞掲載日:2019年10月4日(第3309号)

歴史家ミシュレの誕生 歴史学徒がミシュレから何を学んだか 書評
沈黙するものたちへの「歴史」
キーワードとしての「幼児期」

歴史家ミシュレの誕生 歴史学徒がミシュレから何を学んだか
著 者:立川 孝一
出版社:藤原書店
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 「マルクスは死んだ」という文章は、かのカール・マルクスについていかなる「新情報」ももたらさないが、いったん発話されるや解釈の抗争を引き起こす。「仏革命は終わった」とのフランソワ・フュレの一文にも、新情報は何ら含まれなかったが、その発話を契機とした論争は激しかった。『歴史家ミシュレの誕生』は、この仏革命論争の現場を揺籃の地とする。当時の日本人研究者にとって、この論争は複雑であったろう。「仏革命」は普遍的モデルと信じられたからこそ、日本でも熱心に研究されたというのに、肝心の本国で、「仏革命」はローカルで国民的なものに縮小されたのだから。この隘路からどう抜け出すか?「変革の主体」などの新概念に拠って、「仏革命」の普遍性を守るか、あるいは、歴史に沈潜し、長く準備されていた「仏革命」の運命を見出すか。ともあれ、変革の主体にせよ、国民の単一・連続性にせよ、「民衆」の「身体」が、絶対の条件となる。当然にも、その先駆的発見者がクローズアップされた。それが、ミシュレである。本書は、そのミシュレ自身における歴史観の転回を丹念に辿り、「歴史の意味」を浮き上がらせる。

ミシュレにとって「歴史」とは何なのか?クーザン経由でヴィーコを出発点にした青年ミシュレにとって、歴史は、理性や精神による自然ないし身体の支配・克服の過程だった。敵としての自然。しかし、『フランス史』第四巻で、成熟したミシュレが突如出現する。契機は、妻ポーリーヌの死だ。ミシュレは妻の墓を程なく暴き、そのウジ虫の塊となった遺骸を凝視したという。喪の働き?いや、ほとんど狂気だろう。その時期に書かれた『フランス史』第四巻は、狂王シャルル六世を共感と共に描き出す。ミシュレは自らの狂気を通じて、王の狂気にアプローチしたのだろうか。ともあれ、歴史的知が否認されたわけではない。知の布置は変わらぬままに、その「意味」が完全に変更されたのだ。本書で描かれるのは、この一種の存在論的転回である。民衆・女性・狂気そして動物といった、精神や理性によって排除され、言葉を失ったものたちに、ミシュレは歴史の意味を見出したのだ。「幼児期」(その語源はいうまでもなく「言葉のないもの」である)を、立川がキーワードとして浮き上がらせる所以である。別なる普遍あるいは「歴史の意味」は、国民国家の外で、マイナーなものたちへと注がれる眼差し抜きでは得られない。

このミシュレ論は、極めて見事と言うほかないだろう。だが、ミシュレの視点がこうして浮き彫りになるほど、例えば、近年盛んに議論されている啓蒙の「政教分離」「世俗性」は見えなくなりはしないか。何よりも、フランス革命の「切断性」――それまでのあらゆる「革命」と無縁であり、それ以降のすべての革命の母胎となった核心、すなわち「人権宣言」――が、盲点化するのではないか。この問いはわれわれ読者の課題として、具体的かつ普遍的に問われねばならない。(さとう・じゅんじ=京都大学教授・ヨーロッパ近・現代思想史)
この記事の中でご紹介した本
歴史家ミシュレの誕生 歴史学徒がミシュレから何を学んだか/藤原書店
歴史家ミシュレの誕生 歴史学徒がミシュレから何を学んだか
著 者:立川 孝一
出版社:藤原書店
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