中村光夫とフロベール ロマン主義のあとさき 書評|浜田 泉( 成文堂)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年10月5日 / 新聞掲載日:2019年10月4日(第3309号)

中村光夫とフロベール ロマン主義のあとさき 書評
師である中村光夫没後三〇年に
まさに全人格を睹したオマージュの企て

中村光夫とフロベール ロマン主義のあとさき
著 者:浜田 泉
出版社: 成文堂
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 浜田泉氏は、早稲田の仏文科を出た後、大学院は中村光夫を慕って明治に移られ、師の下で研鑽を積まれた後、明治の仏文科で長らく教鞭を取られ、今春定年を迎えられた。これまでに、優れたフランス文学研究論集を何点か世に問うておられる氏にとって、本書は研究生活の集大成となる。それはまさしく、仏文学研究を志した初心への再確認的立ち返りに他ならないだろう。中村光夫没後三〇年に刊行された本書は、熱烈に師に倣い、学ぼうとした、ということはつまり、師その人に能うる限りなろうとした若き学徒が、自身、師の晩年に相当する年齢に達した現在、改めて師の志向と情熱とを追体験し、文学における日本の近代化という文脈の中でのその意味を確認しようとする、まさに全人格(実存と言っても良い)を睹したオマージュの企てと言える。

三部からなる本書の第一部は中村光夫に充てられるが、基本的に、代表作『風俗小説論』までの文芸批評家としての形成の跡をたどる前半三章は、近代文学というものを構築しようとした三人の人物(二葉亭四迷、フローベール、そして中村光夫)の苦闘を、間近に寄り添いつつ描き出している。この三者の組合せは、もちろん若き中村光夫が前二者を最大の主題としたことによって成立するが、ここでの叙述は、ふんだんなフローベールの引用とそれを論ずる中村の引用とが継起する中で、時に中村自身が語っているのではないかと錯覚させるほど、一種独特の臨場感を帯びている。人物と人物の通底、自己同一性の交感、あたかも中村光夫が著者に乗り移ったかと思えるほど、著者は中村光夫になりきっている。

この精神のドラマもさることながら、特に筆者にとって興味深かったのは、第一回フランス政府招聘留学生として渡仏した中村のフランス滞在記、『戦争まで』である。彼は、一九三八年六月から一年間はパリに滞在、翌年六月に、ロワール川の畔、トゥールにパンシヨンを借りて、トゥーレーヌ学院の夏期講座でフランス語の上達に努めた。パンションの経営者一家や、十人弱の同宿人と学院の学友たち(フランス人もいれば、スイス人、スウェーデン人、トルコ人等もいる)との若者同士らしい親密な交流・交際(中村は二八歳前後だった)が、素直に綴られる。例えば、連れ立って水浴場に出かけた日に、フランスの若い娘の豊かな肢体に感じた「官能的な圧迫感」。あるいは同宿の独身女性への愛惜溢れる観察。おそらくはフランスで初めて可能になった、若者らしい「青春」の素直な表白……。

第二部はフローベールに充てられるが、それは、著者が師の下で全身全霊をこめて取り組んだテーマだったからである。特に最初の三章は、『ボヴァリー夫人』に結実するフローベールの小説作法の形成についての精緻な分析だが、その白眉は、ロマン派の巨頭、ラマルチーヌの小説『グラツィエラ』(一八五三年)に対するフローベールの痛烈な批判の掘起しであろう。騎士道物語に夢中になったドン・キホーテの現代(一九世紀フランス)版たるエンマが、修道院で耽読した恋愛小説の典型とも言えそうな、いかにもロマンチックなこの小説が、真実を物語ることなき偽善にすぎないとの告発は、「真実」を書こうとする青年フローベールの決然たる「信仰告白」に他ならない。エンマがフローベールの分身であるとは常識だが、シャルルも分身であり、エンマの「正反対の陰画」であるとの定義等、卓見は枚挙に遑がないが、割愛する。

この他、中村光夫の戯曲『雲をたがやす男』やフローベールの『ブルターニュ紀行』、第三部のルソーの『エミール』やネルヴァルの『東方紀行』についての論は、読まないでも作品がよく分かる重宝な読書案内としてお薦めであり、またデュラスとル・クレジオの晩年ないし近年の活動を辿る二つの論も、不勉強の筆者には大変ありがたかった。(いしざき・はるみ=フランス文学者、青山学院大学名誉教授)
この記事の中でご紹介した本
中村光夫とフロベール ロマン主義のあとさき / 成文堂
中村光夫とフロベール ロマン主義のあとさき
著 者:浜田 泉
出版社: 成文堂
以下のオンライン書店でご購入できます
「中村光夫とフロベール ロマン主義のあとさき 」出版社のホームページはこちら
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