生命としての景観 彼はなぜここで妖怪を見たのか 書評|佐々木 高弘(せりか書房)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年10月5日 / 新聞掲載日:2019年10月4日(第3309号)

生命としての景観 彼はなぜここで妖怪を見たのか 書評
怪異・妖怪が現出する〈場所の意味〉を講究する旅路

生命としての景観 彼はなぜここで妖怪を見たのか
著 者:佐々木 高弘
出版社:せりか書房
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 怪異・妖怪研究は一九九〇年代後半以降、民俗学・宗教学・歴史学・美術学・文学・芸能研究・文化研究、さらには心理学や古生物学など、多くの学問領域を越境し往還することで成果を上げ、進展を続けてきた。しかしそうした多様な研究の多くに共通する姿勢があることは否めない。それは「怪異・妖怪は現実には存在していない」という姿勢である。しかし本書において著者は歴史・文化地理学の視座から、怪異・妖怪が現出する「現実」を肯定する。より正確に言えば、「そこに怪異・妖怪が顕れるのは納得できる。だから本当に違いない」と、地域の共同体に認定される〈場所の意味〉を肯定する。そうして本書は江戸期名古屋の事例を出発点として、時代や地域を経巡りつつ「怪異・妖怪の〈場所の意味〉」を講究する旅路へと読者を誘う。

江戸後期――天保四(一八三三)年十月九日、名古屋城下町近郊の武家の少年・箕浦虎之助が見た不可思議な夢から探索は始まる。狐が自らを神として祀ってくれと懇願するその夢は、やがて現実を侵食する。その次第は神霊が少年の夢枕に立った後、関係者の周辺に繰り返し出現し祀りを促す怪異として顕現しその結果祀られた「奇談」として、『尾張霊異記』(一八五六頃成立)に「白髭・立日両明神建立仕末」の記事にまとめられた。

著者はこの怪異の場所に焦点を据える。そこは名古屋城から名古屋湾に延びる街道の大木戸の南、都市計画により作られた城下町(直線の道)とそれ以前からの自然居住村(曲線の道)の境であり、同時に災厄を都市から押し返す場所=災厄と出会う場所とイメージされてきた「衢」である。怪異の現出する「狂気の景観」は、生活者が半ば無意識的に受け継いだ土地利用の記憶を背景とした〈場所の意味〉の反映であることを著者は、平安京の怪異空間・鳥取城下の怪談随筆・播磨国の奇談集・加賀大聖寺藩の百物語・近代大阪の怪異のうわさ・ニューヨークはマンハッタン島の景観・マンガ/アニメ作品『攻殻機動隊』に描かれた風景たちと名古屋城下町を螺旋的に往還しつつ、緻密に繊細に〈場所の意味〉の本質に迫ってゆく。それは怪異・妖怪が現出する「現実」――「怪異・妖怪がなぜその場所を選んで現れたと語られたか」という「現実」――を肯定し追及する試みであり、歴史・文化地理学に立脚する著者にしか成し得ないアプローチであっただろう。

人々が生活を営む現実の場所に込められた意味を突き詰めることが、すなわち怪異・妖怪の出現が言挙げされる必然性の探求につながってゆく。この旅路を追体験した読者は、もはや「往きて還りし者」――怪異・妖怪の〈場所の意味〉を経験した者――となっているはずだ。それは自分自身の生活のうちにある場所に、視えざる意味を発見できる感覚の持ち主への変貌といえるだろう。本書は歴史・文化地理を踏まえて〈場所の意味〉を感じることの重要性を、怪異・妖怪を事例として教えてくれる。その意味において、怪異・妖怪研究に関心のない読者にも手に取ってもらいたい一冊である。
この記事の中でご紹介した本
生命としての景観 彼はなぜここで妖怪を見たのか/せりか書房
生命としての景観 彼はなぜここで妖怪を見たのか
著 者:佐々木 高弘
出版社:せりか書房
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