夢みる名古屋 ユートピア空間の形成史 書評|矢部 史郎(現代書館 )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年10月5日 / 新聞掲載日:2019年10月4日(第3309号)

夢みる名古屋 ユートピア空間の形成史 書評
ブロッホ再評価と「名古屋」
三つの層から「日本」近代を批判する

夢みる名古屋 ユートピア空間の形成史
著 者:矢部 史郎
出版社:現代書館
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 愛知、名古屋が「表現」とか「不自由」とかで注目を浴びた事件が起きたが、それと潜在的には大いに連関するタイムリーな本が(意図せずに)出た、と言わざるを得ない。それとは若干別のことだが、世界中で今、『ユートピアの精神』や『希望の原理』などの著作を残したエルンスト・ブロッホの再評価が進んでいる。二〇一一年の3・11(正確には3・12)の衝撃を経て愛知に移り住んだ矢部史郎が、「名古屋」という場に向き合いどんな「球」を投げて来るのか――この新刊のベクトルと近年のブロッホ再評価とはめくるめく呼応関係がある(エマュエル・ヤン『黙示のエチュード』〔新評論〕にも、また柄谷行人の交換様式Dの探求などにもそれを感じる)。

さて、本書『夢みる名古屋』は、三つの層からなる――帝国主義を背景にした近代都市計画の前史、戦後革命への反動としてのモータリゼーションの展開、そして現在のジェントリフィケーションによる空間の荒廃――この三つから歴史構成体としての名古屋を描き、そのことによって「日本」近代そのものを批判するのだ。ここでの「夢みる」主体とは、アイロニカルにも資本家+エリート官僚たちのことのようにも読めるが、本書を通読してわかるのは、現在のような名古屋とは別の可能性が、やはりどこかに置き忘れた「夢」として漂っているものとも読める。端的に、ここに今日のブロッホ再評価との連関性を感じるのである。「もはや意識されないもの」と「まだ意識されないもの」という独自のカテゴリーを通じて歴史の潜在性に取り組んだブロッホの試み――その系譜を訪ねるなら、一八四八年革命の挫折の後で『ドイツ農民戦争』を書いたエンゲルスの史的唯物論に連なるものであろう。つまり、史的唯物論なるものは、書斎の中で自然に発酵したものではなく、革命の敗北の後で、その荒廃した現在史の逆転への想いを敗退させられ過去の「夢」――たとえばトーマス・ミュンツァーの言葉――の中に探ろうとしたエンゲルス、そしてカウツキー、ブロッホ、ベンヤミンなどの試みに連なるものである。翻って現在、遡ればスターリン批判以降、史的唯物論は実に分が悪いものとされている。が、先に述べたように、史的唯物論とはむしろ敗北を忘れないこと、かつ歴史の逆転への願いを込めた歴史の「書き換え」作業そのものことである。だから、史的唯物論は、何度でも書き換えられるべきプロジェクトだ――『本書』はそのことをクリアーに示してくれた。

個人的には、名古屋に関してとても気になっていた過去史がある。一九五〇年代前半の最大のラディカルな闘争=鎮圧事件たる大須事件への言及が当事者へのインタビューをもとに書き記されている――筆者のこの努力にも敬意を表したい。さて、最後に問題提起としたいのは、史的唯物論において「近世」(つまり近代以前の歴史社会)をどう把握するかである。それは近代化が押しつぶしたコモンズ=共有地として救い出すべき対象なのか、それとも近代へと乗り移った権力装置やその思考パターンとして批判すべき対象なのか――といった両極端はさておき、ある意味では価値でもありフレームワークでもあり得る過去――「近世」、あるいは「中世」や「古代」にどう取り組むかは、やはり福本和夫や羽仁五郎や中野重治、あるいは石母田正など日本マルクス主義者が「冬の時代」に取り組んだテーマでもあっただけに、極めて重要な問いであり、おろそかにはできない。
この記事の中でご紹介した本
夢みる名古屋 ユートピア空間の形成史/現代書館
夢みる名古屋 ユートピア空間の形成史
著 者:矢部 史郎
出版社:現代書館
以下のオンライン書店でご購入できます
「夢みる名古屋 ユートピア空間の形成史」出版社のホームページはこちら
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