表現の自由とメディアの現在史 統制される言論とジャーナリズムから遠ざかるメディア 書評|田島 泰彦( 日本評論社 )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年10月12日 / 新聞掲載日:2019年10月11日(第3310号)

表現の自由とメディアの現在史 統制される言論とジャーナリズムから遠ざかるメディア 書評
改めて問題の輪郭を明らかに
〝道徳〟よりも〝倫理〟を重視

表現の自由とメディアの現在史 統制される言論とジャーナリズムから遠ざかるメディア
著 者:田島 泰彦
出版社: 日本評論社
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 本書は憲法、メディア法の専門家である著者が、「言論表現の自由」を巡る法制度や社会の具体的な動きについて、そのつど記してきた時評的論考から構成されている。こうした書籍は記録資料的意味合いを込めて刊行されるケースが多いが、本書の場合、時間経過を通して通読されることで改めて問題の輪郭が明らかになり、新たな議論を用意する性格を備えている。

たとえば本書は自公政権下で二〇〇三年に成立した個人情報保護法に始まり、二〇〇九年の政権交代で誕生した民主党政権のメディア政策、そして二〇一三年以降の第二次安倍政権下の報道規制強化の動きをカバーするが、通読するとメディアを支配下に置こうとする姿勢は自民党、中でも一強体制を背景にした安倍政権の専売特許ではなく、民主党政権も独特のメディア統制志向を示していたこと、それが第二次安倍政権の露払い的な役割を果たしたことが分かる。それは著者が特定政党への支持や期待に偏ることなく、権力と、権力を監視するジャーナリズムという対立の構図が健全に機能しているかどうかという視点でメディア社会を論評してきたからこそ浮き彫りになったものだった。

そうした著者の姿勢は、〝道徳〟よりも〝倫理〟を重視していると評することができよう。個々人や共同体の好悪の感覚を踏まえた規範を〝道徳〟、共同体を横断して公共的に適応されるべき規範を〝倫理〟と呼び分ける習慣は必ずしも一般的ではないが、社会学系の一部で採用されているものだ。たとえば著者はマンガやアニメの性表現が刑罰に触れる範囲を越えて規制され始めたことを危惧する。確かにそこには見苦しい表現もあるだろうが、個人的な感覚で下劣に感じるもの、道徳的に許容できないと思われる表現までをも規制し始めると恣意的に表現の自由が制約されることになる。個々の価値観や道徳的心情に基づく対応は個人や家族レベルに留め、多様な価値観の人を横断する倫理の明文化としての法規制は共生社会の維持のために必要とされる最低限のルールに限定されるべきだ。そう考える姿勢は最近のフリージャーナリストへのパスポート返却命令の議論にまで一貫しており、ブレがないからこそ、本書は表現規制の偏向を明らかに示すのだ。

こうした議論の延長上に今後検討の余地があるとしたら〝市民〟という概念ではないか。本書刊行後に開催された芸術祭「愛知トリエンナーレ」では明らかな脅迫だけでなく、電凸と呼ばれる集中的な電話クレームによって「表現の不自由展その後」が展示中止に追い込まれた。電話を通じて自らの思想信条を表現する〝市民〟が、芸術を創造し、芸術を愛する〝市民〟の自由を封じる。多様な構成員を包摂する市民という概念を「市民的公共性」や「倫理」の依って立つ場として著者も用いているが、今や市民こそが分断と抗争の担い手となり、「市民の自由」同士が激しく衝突する。そんな状況の中で表現の自由はいかに論じられるべきなのか。本書は新たな課題をも浮き彫りにしたと言えよう。
この記事の中でご紹介した本
表現の自由とメディアの現在史 統制される言論とジャーナリズムから遠ざかるメディア/ 日本評論社
表現の自由とメディアの現在史 統制される言論とジャーナリズムから遠ざかるメディア
著 者:田島 泰彦
出版社: 日本評論社
以下のオンライン書店でご購入できます
「表現の自由とメディアの現在史 統制される言論とジャーナリズムから遠ざかるメディア」出版社のホームページはこちら
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