専門知は、もういらないのか 無知礼賛と民主主義 書評|トム・ニコルズ(みすず書房)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年10月12日 / 新聞掲載日:2019年10月11日(第3310号)

専門知は、もういらないのか 無知礼賛と民主主義 書評
エリートの嘆き節をどう越えるか
専門家と市民の絆の結び直しを

専門知は、もういらないのか 無知礼賛と民主主義
著 者:トム・ニコルズ
翻訳者:高里 ひろ
出版社:みすず書房
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 全編これ専門家の嘆き節、といった雰囲気が漂う。著者が個人ブログに書いた同名の記事が広く読まれ、それが本書の出版に繋がったというが、なるほど読みやすく、また共感を呼ぶ書きぶりとなっている。

著者のトム・ニコルズ(アメリカ海軍大学校の教授で、ロシアを中心とした国家安全保障問題の専門家とのこと)は嘆く。人々は専門家の言うことに耳を傾けない。興味を持とうとすらしない。それどころか、一部の人に至っては自分たちが専門家たちよりもその問題について正しい答えを知っていると考え、自分の意見を頑なに守り、意見を否定されると激しく反発する。

著者を駆り立てているのは、専門家と市民の間の断絶や不和が、民主主義と共和制を崩壊へと導いていくだろうという危機感である。人々はこれ以上学ぶ意欲をなくしており、専門知と専門家への敬意がどんどんと損なわれている。政治家やメディアも人々が求めるものだけを追いがちで、不都合な事実や複雑な情報を受け付けようとしない。そして専門家もまた、市民たちにアクセスしやすい形でのアドバイスの提示を怠ったり断念したりするようになっている。

各章には、さまざまな事例が多数紹介されており、飽きることはない。ステレオタイプ、反ワクチン、戦術核や安全保障、大学生の知的水準の下落、天動説を信じる人々、ブレグジット、ドナルド・トランプ、歴史叙述、……具体的なエピソードが次々と示される。

豊富な事例をつなぐ議論の核の一つとなっているのが確証バイアスなど認知バイアスについての知見の援用だろう。とりわけ著者が気に入っているのが、「ダニング=クルーガー効果」である。「優越の錯覚」と要約できるだろうが、著者はこれを「聡明でない人ほど、自分は聡明だという自信を強くもっている」(五七頁)と説明し、専門知に期待しない「無知」な人がなぜ大きな声で議論に参加し、ときにその場の趨勢を決めてしまうのかを説明する。ただ実際には、ニコルズは実証的な社会調査をもとにアメリカ社会を分析しているわけではない。ときに衆愚観のにおいのする印象論が現れることもあり、そのまま分析を鵜呑みにするのは危ういだろう。付言すれば、この種の話題でほぼ必ず論及されるソーシャルメディアについても記述が少なく、物足りない。

とはいえ紹介される事例は日本の読者に馴染みのないものも多く、興味をそそられる。そして自然と、日本との比較をしたくなるだろう。状況は同じだろうか。部分的には同じであり(憲法学者の大多数の意見を無視した政権や、明白な誤りを含む歴史叙述がまかり通る出版状況を見よ)、部分的には異なる(日本では市民の知的レベルの下落はさほど焦点化されない)。だが、課題や危機は明らかに日本と共通する。我々は「専門知の死」の時代をどう乗り越えたら良いのだろうか。

著者の結論は、専門家と市民の絆の結び直しである。妥当だ。だがそれは当たり前すぎるし、それが難しいから事態は世界中でこうなっている。著者はむろんそれを百も承知だろう。即効性のある処方箋などありはしないということか。
この記事の中でご紹介した本
専門知は、もういらないのか 無知礼賛と民主主義/みすず書房
専門知は、もういらないのか 無知礼賛と民主主義
著 者:トム・ニコルズ
翻訳者:高里 ひろ
出版社:みすず書房
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「専門知は、もういらないのか 無知礼賛と民主主義」出版社のホームページはこちら
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