中平卓馬をめぐる 50年目の日記(27)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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中平卓馬をめぐる 50年目の日記
更新日:2019年10月11日 / 新聞掲載日:2019年10月11日(第3310号)

中平卓馬をめぐる 50年目の日記(27)

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写真批評誌を作りたいと居酒屋で話した私に、「いいですね。協力しますよ」と、多木さんは穏やかに言ってくれた。「たたき台を作ってみたら? オレも協力するから」と、中平さんも言った。

そもそも写真批評誌の構想にいたるきっかけをつくったのが中平さんなのだ。彼もまたアクションを起こす何かを考えているようだったが、身軽な学生の私に先に走らせてみようと思っていたようだ。

酒を飲みながら彼は日本で写真批評に値する人物は伊奈信男だけで、瀧口修造はちょっと別の立場だし名取洋之助はプロデューサーだった、渡辺勉さんは業界に利用され過ぎ、福島辰夫だって解釈論だけの人だ、重森弘庵はけれんが過ぎていかがわしい、などとたくさんの名を上げて辛辣だった。多木さんは否定も肯定もせず、静かに微笑みながらビールを飲んでいた。

彼は、その頃新たに注目され始めていた写真の特性に相応しい批評、つまり文学や美術や音楽を語る言葉とは全く違う言葉を作り出さなければダメだと言っていた。それほど写真は違うものなんだという考えを持っていて、それには独自な批評のスタイルをつくり出さなければと思っていたのだと思う。
「じゃあそういう雑誌ができればいいんですよね」と言うと、「そういうこと。決まりだ。応援するよ」ということになった。

そう言った途端、中平さんは顔をテーブルに突っ伏してしまった。

中平さんは居酒屋ではいつもあおるようにコップ酒を一気飲みする。立て続けに二杯はそうやって飲む。それから人と同じペースになるのだが、駆けつけの二杯でまだ誰も酒の勢いが身体に廻るずっと前に飛び抜けて早く酩酊状態になるのだ。あっという間にカウンターやテーブルに突っ伏してその間に少し眠る。短い眠りだが、それで息を吹きかえした。酒が入った者同士の会話が好きではなかったのかもしれない。酒は好んだが、それで打ち解けるような雰囲気が嫌だったのだろう。だから先にぶっ飛んでしまおうとしていたようだ。

翌日から私は、たぶん日本では初めてになる写真の批評誌をつくろうという気持ちでいっぱいになって走り回ることになる。

大学へ行って、自治会(正確に言えば当時はまだ御用組合のようにつくられた学生会という名称の組織だった)のリーダーだった友人に話をした。彼は「機関誌」ということにすれば援助できるよう学部の学生会の方へも提案するが、と知恵をくれた。位置づけはなんでもいいと私は思い、予算の見通しは立ったと確信した。根回しはリーダーの友人に任せて私はすぐに学科学生会機関誌編集局という部署をつくることにした。

賛成してくれそうな友人を決め打ちして話をつけ、7人の仲間を確保した。そして全員に集まってもらい、「フォト・クリティカ」という名称にしたいがいいかとみんなに聞いた。この名称は大学のある西武池袋線江古田駅前の古本屋でいろんな古書の背表紙を見ていて思いついたものだ。

その翌日、リーダーの友人には「昨日から始めた」とだけ報告した。中平さんにも会って報告した。すると彼は「一点突破の全面展開だね」と破顔一笑した。(やなぎもと・なおみ=写真家・東京造形大学名誉教授)     (次号へつづく)
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