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ジャン・ドゥーシェ氏に聞く「映画/映画作家/映画批評」
更新日:2019年10月14日 / 新聞掲載日:2019年10月11日(第3310号)

連載 ナチスのヨーロッパ映画に対する影響   ジャン・ドゥーシェ氏に聞く 126

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2000年代初頭、日本にて

HK 
 ラース・フォン・トリアーの初期三本は、ハンス=ユルゲン・ジーバーベルクやライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの映画に似ているところがあるとも感じられます。不思議なのは、ちょうどドイツ人監督たちと入れ替わるようにしてトリアーが世の中にでてきていることです。
JD 
 すでにお話ししたと思いますが、ファスビンダーは私にとって本当に重要な映画作家でした。彼が今日にまで至る映画の基礎を作ったとさえ考えています。
HK 
 ひとつ疑わしいのは、トリアーがニュージャーマンシネマの行ったことを知っていたかということです。つまり政治面における歴史的考察のようなものを知っていたのかどうか。本人の話によると、『エレメント・オブ・クライム』も、どうしてヨーロッパの歴史を取り上げることになったのかよくわからないそうです。そうした歴史に興味を持っていた友人から影響を受けたのではないかと、トリアーは語っています。その次作の『エピデミック』は、終始ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』が聞こえてきます。八〇年代初頭に、西ドイツではジーバーベルクが『パルジファル』で、同じようにワーグナーを通じてヨーロッパを考察していました。その偶然が、非常に興味深く感じられます。ジーバーベルクはもともと劇作家のデュレンマットについて論文を書いたりしており、ドイツの社会的批判に興味があったと理解できます。しかし、トリアーはその後のフィルモグラフィーを考えても、とりわけ興味のある主題ではなかったのではないでしょうか。
JD 
 それについて私の口から言えるのは、ラース・フォン・トリアーは一筋縄ではいかないということです。ひとつ理解しなければならないのは、ヨーロッパにおいて、とりわけナチスの影響下にあった国において、自らの歴史を振り返るためには多くの年月が必要だったということです。ドイツではファスビンダーの一派が姿を現すのを待たなければいけませんでした。デンマークの歴史は簡単ではありません。戦時中はナチスの大きな影響を受けていた国です。デンマークはナチスに協力していた国です。デンマーク映画も検閲を受けながら、ナチスのために映画を撮らざるをえない時代があったのです。ドライヤーが映画を撮れなくなったのは、その時代においてです。ナチスの持つ考えとドライヤーの映画は相容れないものだったのです。いずれにせよ、そのような時代背景を持った国で芸術を生み出そうとするならば、嫌が応にも自らの置かれた社会状況を強く意識する、もしくは意識せずとも影響を受けずにいられないのです。
HK 
 確かにフランスも解放直後、否応なくナチスの歴史について、多くの作品を作っていますね。ただ、フランスの場合は時間を置かなかったせいか、自分たちを英雄視する映画ばかりになっています。
JD 
 それは、フランス人は間違いを認めるのが好きではなく、自分が正しいと言い張らないと気が済まないからです。一方で、フランスには早い時期から、占領下におけるフランス人とドイツ人のあり方について考察させるような作品も、少なからずありました。ジャン=ピエール・メルヴィルは解放後数年で、フランス人家庭に滞在することになった、フランスの文化を愛するドイツ人将校の話(『海の沈黙』)を撮っています。それからアラン・レネは『夜と霧』を一九五五年に撮っています。
HK 
 彼らの作品は例外的だったのではないですか。『夜と霧』は、カンヌに出品された際、ドイツから苦情が入り上映が禁止されたはずです。
JD 
 当時の大部分のフランス人たちは、占領下のフランスの歴史に目を背けることを好んでいたのです。その意味で言えば、フランスが第二次世界大戦に向き合うためには、ドイツのようにして、多くの年数が必要でした。 〈次号につづく〉
(聞き手=久保宏樹/写真提供=シネマテークブルゴーニュ)

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