七〇年目の風に吹かれ 中川五郎グレイテスト・ヒッツ 書評|中川 五郎( 平凡社 )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年10月12日 / 新聞掲載日:2019年10月11日(第3310号)

七〇年目の風に吹かれ 中川五郎グレイテスト・ヒッツ 書評
フォークは永遠に未来をひらくもの
「思いありき、言葉ありき、メッセージありき」の革命ライブ自伝

七〇年目の風に吹かれ 中川五郎グレイテスト・ヒッツ
著 者:中川 五郎
出版社: 平凡社
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 一九六八年、フォーク革命が起こった。ザ・フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」と高石ともやの「受験生ブルース」が大ヒットし、若者の心をつかんだ。痛烈な社会風刺とストレートで赤裸々な心情の表出の両面から心をゆさぶった。

高石ともや・岡林信康・中川五郎の三人はそのフォーク革命の首謀者たちであった。その中の最年少者の中川五郎も本年七〇歳の古希をむかえた。そして、そのフォーク革命ライブ自伝として本書『七〇年目の風に吹かれ~中川五郎グレイテスト・ヒッツ』が出た。

フォークとは何か? 中川は言う。「思いありき、言葉ありき、メッセージありき」と。ウディ・ガスリーやピート・シーガーやボブ・ディランの影響下に、騒然たる全共闘運動が吹き荒れるなか、中川は戦争反対や差別反対などのプロテストソングを歌いながら世に出た。そのとき、十九歳。

それから七〇年の時が過ぎた。が、中川の心は十九歳のままだ。もちろん、体の方はそれなりに年輪を刻んでいるが。中川と同年生まれで二十歳で自殺した高野悦子の遺稿集『二十歳の原点』が出たのは一九七一年のことだった。二〇一九年の今、そんな「原点」を世に鋭く問いかけているのはスウェーデンの十六歳の少女グレタ・トゥンベリかもしれない。彼女の言葉と行為はかつてのフォーク革命のメッセージを切実に受け継いでいるように思う。実際、中川は言っている。「フォークは過去を懐かしむものではなく永遠に未来をひらくものなのだ」(一九頁)と。

ここで語られているのは、フォーク魂、その先人・師匠たち、中川のセクシュアリティ、『ふたりのラブ・ジュース』がもたらした一〇年間におよぶ「わいせつ裁判」、ライブ小説、アルバムセルフレビュー、などである。

本書を読んで最も興味深かったのは、中川が一貫して「私小説ソング」を歌ってきたライブ・パフォーマーでありつづけたということ。一九六九年十月二十一日、日米安保条約反対の街頭闘争が日本各地で展開されていた国際反戦デーの夜、フォーク革命の旗手の中川はホテルで恋人と抱き合っていた。「10月21日の夜にぼくは/小さなホテルで恋人と抱き合っていた/学生と機動隊のぶつかり合う音が/遠くに聞こえ 興奮した夜の中を/群衆のざわめきが伝わり、催涙ガスを打つ音が響く/ぼくはといえば/ここでこんなふうにあなたと愛し合うだけ/10月21日の夜に」

この私小説フォークが、当時、どのように評価されたか? それは本書を読んで確かめてほしい。が、中川と同時代人であるわたしは中川の私小説ソングを痛みとともに受け入れる。

その夜はわたしは、大阪で友人たちと寺山修司作演出の「A列車で行こう」の稽古をしていた。わたしは寺山に反逆したが、そんなことはどうでもよかったのだ。「みなさん 天気は死にました」という友人の詩人の言葉が自分の中に鳴り響き、終末論的な今を生きていた。

本書で興味深かった箇所はいくつもあるが、一つだけ挙げれば、「How About I Be Me」のシネイド・オコナーの生き方と歌。響いた。

最後に、本書のカバー写真の中川五郎を見て驚いた。彼の昔のバンド、ヴァギナ・ファックのドラムを叩いていた親友・故戸田克文にそっくりだったからだ。痛みとともに読み終えた。
この記事の中でご紹介した本
七〇年目の風に吹かれ 中川五郎グレイテスト・ヒッツ/ 平凡社
七〇年目の風に吹かれ 中川五郎グレイテスト・ヒッツ
著 者:中川 五郎
出版社: 平凡社
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