森があふれる 書評|彩瀬 まる(河出書房新社 )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年10月12日 / 新聞掲載日:2019年10月11日(第3310号)

森があふれる 書評
幻想的かつ物語的なミューズの反撃

森があふれる
著 者:彩瀬 まる
出版社:河出書房新社
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 芸術におけるミューズとは今でも有効なのだろうか。芸術家のモチーフになり霊感を与える女性——映画監督にとっての女優、画家にとってのモデルなど、その美しさを作品に留められ、伝説的に語られる。小説家にとってのミューズも文学史上もちろん存在する。だがミューズは作品中では永遠の存在でも、現実はそうもいかない。実生活でも夫婦になったが後に破綻するケースもあるし、スコット・フィッツジェラルドとゼルダのように妻自らも創作することにより反撃に出ることもある。最近はインターネット上の#MeToo運動でミューズから手ひどい反撃を受けたケースもあった。

『森があふれる』に登場する小説家の埜渡徹也と妻琉生の関係は、典型的な芸術家とミューズにあたる。デビューしたものの自らが志した作風ではパッとせず、たまたま見初めた一回り年下の妻のあどけなさのなかにある魔性的な魅力とそれに耽溺する男をそのまま愛の交歓の物語として描いた『涙』という小説でブレイクし、その後もおしどり夫婦として業界に名を知られてきたのだから。だが琉生も永遠のミューズであることを拒否するかのごとく反撃に出る。植物の種子を大量に摂取し、自ら「発芽」するという幻想的かつ物語的な手段で。

妻が異形のものというフィクションのパターンは昔からある。「つるの恩返し」のように妻だと思って愛おしんでいたものが実は別の姿を持っていたという虚構は、妻とは一番近くにいる他者だというメタファーといえるかもしれない。「発芽」により全身の毛穴から植物が生えはじめた琉生は、その姿の原型をとどめずどんどん成長し増殖し、「森」となって家を飛び出し、町中に広がっていく。きっかけとなったのは、夫の徹也の浮気である。小説講座の生徒である木成夕湖と、雑談からどんどん男女の関係になっていく。夕湖は琉生のような妖しさ美しさを持った女性としては描かれない。むしろ本当に平凡な主婦であり、話す内容も凡庸である。ここで興味深いのは、それでも作家は妻と同じものを浮気相手にも求めようとするのだ。琉生を『涙』と読み換えて小説にしたように、夕湖という名を「木綿子」呼び換え、さまざまな弱みを持つ女を演じさせることで彼女を喜ばせているのだから。夕湖はその喜びの中で「水の溜まった空洞が私だ」と感じる。そして皮肉にも彼女の姓は「木成」、妻と同様ふとしたきっかけで木になってしまう呪いを感じさせる。

不思議な現象が増殖する中、琉生の目撃者がふたりいる。山入書房の編集者である瀬木口とその後輩の白崎だ。瀬木口はまさに発芽して原型をとどめなくなっていく琉生を目の当たりにし、気分が悪くなって風俗に行き(当たり前の肉体を実感し)、家庭では普通に振舞おうとするが、何かを気取った妻は去ってしまう。瀬木口の業務を引き継いだ白崎は、森の発生点である埜渡宅の寝室から導かれるように森の中へ入り、そこで石で何かを作ろうとしている琉生に出会う。夢の登場人物のような幻の琉生に逃げられた白崎は「悪い夢のなかに居るみたいだ」と思う。夢は彩瀬まるのデビュー以来多くの作品に現実の合わせ鏡として象徴的に使われているものだ。しかし、森に入った徹也が、過去の自分、過去の琉生の夢を見て自分の欠落を悟り、目が覚め、ただの寝室に戻った空間には元の姿の琉生と交わした会話から起こった夢の転換、さらには森の復活に至るまでの流れは、作者がこの作品によって初めて到達した境地といえよう。
この記事の中でご紹介した本
森があふれる/河出書房新社
森があふれる
著 者:彩瀬 まる
出版社:河出書房新社
以下のオンライン書店でご購入できます
「森があふれる」出版社のホームページはこちら
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