〈島〉の科学者 パラオ熱帯生物研究所と帝国日本の南洋研究 書評|坂野 徹(勁草書房 )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年10月12日 / 新聞掲載日:2019年10月11日(第3310号)

〈島〉の科学者 パラオ熱帯生物研究所と帝国日本の南洋研究 書評
「南洋」とパラオ研の物語
統治政策のなかで生きた科学者たちと〈島〉を描く

〈島〉の科学者 パラオ熱帯生物研究所と帝国日本の南洋研究
著 者:坂野 徹
出版社:勁草書房
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 第一次世界大戦の際日本は、日英同盟に基づき英国の敵ドイツに宣戦布告し、一九一四年、ドイツ領南洋群島(ミクロネシア)に海軍を派遣し占領する。以後「南洋」は、一九二〇年に国際連盟の委任統治領として実質的な日本の植民地になり、日本の国際連盟脱退以後も、一九四五年まで日本の統治下にあり続けた。

本書は、植民地統治そのものと「南洋」の資源への期待が、先端の自然科学や人文社会科学を必要としたという帝国日本の科学をめぐる政治をとらえるとともに、研究者たちがこの「南洋」というフィールドをどう生きたかを、描き出す。

一九一四年、海軍による占領とともに、物理学、地質学、動物学、考古学、人類学などの多岐にわたる分野の科学者が「視察」のため南洋に送られた(第一章)。そして一九二二年、南洋が日本の委任統治領になると南洋庁が置かれ、同庁との関係で、松岡静雄の〝アームチェア〟の言語人類学的研究、長谷部言人の形質人類学の実地調査など「日本人」の起源と南洋を結び付ける研究が行われ、また同庁の協力のもと太平洋調査会に委嘱された植民地政策の専門家、矢内原忠雄の実地調査が実施された(第二章・三章)。

こうした南洋への科学の投入の延長上に、本書の中心的なトピックであるパラオのコロール島に設置されたパラオ熱帯生物研究所(以下・パラオ研)がある(第五、六章)。同研究所は一九三四年に日本学術振興会により、南洋の総合的研究を担う施設の一つとして設立された。そして一九四三年に閉鎖されるまで、南洋庁の支援を受けながら、東北帝大出身者を中心に、京都帝大を始めとする大学、研究機関から研究者が参集し、各自が一年から数年にわたり滞在し調査研究に従事した。研究者それぞれが自らテーマを見つけ、研究所を拠点に採集調査に出かけ、研究をすすめる。それらの研究は、初期の珊瑚礁の研究から次第に熱帯生物全般の研究へと推移していったという。そうした島での研究と生活が、パラオ研の英文・邦文紀要、一九三六年五月から研究所閉鎖まで七人の所員により書き継がれた「研究所日誌」、一九三八年に関係者の親睦組織として結成され、戦後も中断をはさみながら一九九三年まで同窓的組織として存続した岩山会の会報、そして著者自身の関係者への聴き取りなどを通して再構成される。

研究者たちにとって、研究環境に恵まれた南洋の島での暮らしは「楽園」として意識される反面、いつも同じメンバーと顔を突き合わせる閉塞した日々と、研究成果を上げなければ帰ることもできないプレッシャーから、誰いうとなく「緑の牢獄」とも言われていたという。一方で、隣接する集落の土地の子どもたちの交流があり、またパラオ本島のチャモロ一家と深くつきあった研究者もいた。そうした日常に淀む悩みや不安、現地の人々との交流を含めて、南洋の統治政策のなかで生きた科学者たちを描いていることが、本書を科学史研究以上の奥行きのある作品にしている。

本書は、このパラオ研と同時代的に、南洋を調査した他の科学者達の動向にも目配りしている。現地に滞在しパラオ研の研究者とも交流をもち、一方で民族学に関心を抱き後に南洋庁の調査を委託されるようになる芸術家・土方久功、パラオ研の実績を踏まえて設立された南洋庁熱帯産業研究所技師で東北帝大助教授・田山利三郎の珊瑚礁の現地調査、南洋に関心を持つ研究者たちがつくった「南の会」の考古学者・東京帝大教授・八幡一郎、同じく同会同人で南洋庁嘱託兼東京帝大副手の民族学者・杉浦健一の調査(第七章)、そして京都帝大の今西錦司が若手研究者と結成した京都探検地理学会によるポナペの調査(第八章)など、当時の「南洋」は、先端的なフィールドワークを志向する科学者たちが交錯する現場の一つであった。

パラオ研は、一九四一年のアジア太平洋戦争開戦で東南アジア地域への南進を画策するが果たせず一九四三年にその役割を終えるが、本書は、再び「帝国日本」に動員される同研究所の研究者たちのその後も追跡している。何人かが満洲にわたり、教育機関や博物館などに所属し研究調査を続け、なかには北京の陸軍防疫給水部(七三一部隊)に所属した者もあった。ユニークなところでは、羽根田弥太は、パラオ研の後、シンガポールの昭南博物館と陸軍南方軍防疫給水部に所属し、長年研究対象としていた発光細菌を軍隊で実用化すべくアンプルに密閉することに成功したという。

著者は、本書終盤で「南方科学ネットワーク」という考え方を提示する。それは、南洋のミクロネシアから南方の東南アジアまで含めた帝国日本のフィールドサイエンスの展開に関わり、個別の科学のそれぞれの学史を超えて、南の島という場を通してより総合的な視点を具体化し得た本書に通底している問いともいえる。出身大学や研究機関の人脈、南洋庁など植民地行政機関や国策企業との関わり、具体化された調査研究プロジェクト、そして研究拠点など、そこで交錯する人と情報は、植民地という政治と交渉しながら科学者たちがどう南の島々にフィールドを創り上げたかを問う、可能性のある重要なコンセプトだろう。

ところで、こうしたパラオ研に関する史資料を多く残していたのは元所員の元田茂だった。元田は単に過去を懐かしむのではなく、あくまでも歴史として研究所日誌や懇親組織「岩山会」の記録や会報、証言等を残そうとしたという(エピローグ)。そもそも「研究所日誌」を付け始めたのも元田であり、本書に挿入された島の研究者たちを収めた幾点かの写真や、表紙に使われた研究所のスケッチも、元田が残したものだ。特に、研究所の全景に、イニシャルが付された関係者たちが描きこまれたスケッチは、一つの記録を意図しており、島で繰り広げられた科学者群像を描き出した本書の表紙のためにまるであつらえたようだ。科学者・元田茂の歴史への意志と、これまで近代日本のフィールド科学の歴史を問い続けてきた著者が、出会ったことで、このスケールの大きな物語が可能になったのである。
この記事の中でご紹介した本
〈島〉の科学者 パラオ熱帯生物研究所と帝国日本の南洋研究/勁草書房
〈島〉の科学者 パラオ熱帯生物研究所と帝国日本の南洋研究
著 者:坂野 徹
出版社:勁草書房
以下のオンライン書店でご購入できます
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