ハイデガー=レーヴィット往復書簡 1919―1973 書評|マルティン・ハイデーガー(法政大学出版局 )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年10月19日 / 新聞掲載日:2019年10月18日(第3311号)

ハイデガー=レーヴィット往復書簡 1919―1973 書評
情熱的思考の対決の記録
第一級の価値をもつ伝記的資料

ハイデガー=レーヴィット往復書簡 1919―1973
著 者:マルティン・ハイデーガー、カール・レーヴィット
翻訳者:後藤 嘉也、小松 恵一
編集者:アルフレート・デンカー
出版社:法政大学出版局
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 「彼は生まれ、仕事をし、そして死んだ」。若きハイデガーがアリストテレス講義で述べたこの発言は、伝記的史実を切り捨て思想ばかりに目を向ける、哲学ならではの悪癖だとしばしば指摘されてきた。例えばデリダはこの発言を「伝記を排除」する「伝統的哲学」だと批判したが、とはいえ今や当のハイデガー自身の伝記的史実もその思想理解に大いに活用されている状況は、何とも皮肉な巡り合わせと言えるかもしれない。

それでも本往復書簡が、第一級の価値をもつ伝記的資料であるのは間違いない。往復書簡開始の一九一九年当時、フライブルク大学で私講師として教壇に立ち「事実性の解釈学」を講じ始めたハイデガーは三十歳、その下で学ぶレーヴィットは二十三歳。二人のやりとりは、その後第二次大戦を挟み十二年間断続するも、四九年に再開、レーヴィットの死去まで一二〇通以上にわたる。分量上も内容上も重みがあるのは、二十年代を中心とする、両者の情熱的なやりとりだろう。若き二人の哲学徒が、哲学研究という不透明な将来に不安な思いを抱えながらも、アカデミックな世界の旧弊に抗い、自らの哲学的思考を掘り下げることにひたすら精魂傾けていく姿には、やはり胸を打つものがある。そうした二人の熱意は、フッサール、ヤスパース、ウェーバー、ジンメル、シェーラー、キルケゴール、ニーチェ、ディルタイらの思想や、心理学や生物学、社会学といった諸学問、さらには互いの研究をめぐって表明される辛辣な批判や深い共感のなかにも溢れ出ている。

「私は哲学者となる器でしょうか」と問うレーヴィットに、「あなたはもっとみずからを訓練すべきだ――仕事の量の点ではなく質の点で」と答えるハイデガー(一八、一九番)。レーヴィットが「他者の本来的自己理解のなかに、あなた自身の本来的自己理解をこっそりと押し込む傾向がある」と批判すれば、ハイデガーも「しかし、人間たちが真に共に存在できるただ一つの仕方で、つまり実存において、私たちは共に存在している」と切り返す(二四、二五番)。レーヴィットがときに激しい感情の発露に突き動かされながら、鋭い批判的洞察を投げかける一方、ハイデガーもそうした批判を受け止め、励ましの言葉を投げかけながらも、思考の徹底した追求を説く。こうした激しい応酬が、やがて『存在と時間』と『共同人間の役割における個人』という名著に結実したことを思えば、両者の間に交わされた批判的思考はもちろん、そこに賭けられた情熱も、実に並外れた威力を備えていたことが窺える。

アーレントも冒頭の発言を好んで引用したが、そこで強調されているのは、現実の時間軸と「情熱的思考」との落差である。伝記的史実に収まり切らないばかりか、ときに自らの身を滅ぼしうるほどの情熱を湛えるのが、もとより思考の本性なのである。二人のそうした情熱的思考の対決に、心揺さぶられる一冊である。
この記事の中でご紹介した本
ハイデガー=レーヴィット往復書簡 1919―1973/法政大学出版局
ハイデガー=レーヴィット往復書簡 1919―1973
著 者:マルティン・ハイデーガー、カール・レーヴィット
翻訳者:後藤 嘉也、小松 恵一
編集者:アルフレート・デンカー
出版社:法政大学出版局
以下のオンライン書店でご購入できます
「ハイデガー=レーヴィット往復書簡 1919―1973」出版社のホームページはこちら
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