詩集 狂天慟地 書評|鎌田 東二(土曜美術社出版販売 )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年10月19日 / 新聞掲載日:2019年10月18日(第3311号)

詩集 狂天慟地 書評
ことばのたわむれのちから
「世界そのものの希望を見出す」言葉を紡ぐ

詩集 狂天慟地
著 者:鎌田 東二
出版社:土曜美術社出版販売
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 鎌田東二の「第三詩集」である。すでに本紙で、『常世の時軸』、『夢通分娩』の二冊を評させていただいたが、著者の「神話詩」三部作の完結編となる本書についても書かせて頂く。「跋」によれば、この三作は「ひとつらなりのもの」である。

本詩集は、三部、三十二篇からなるが、前二作同様、全体で(表紙絵や奥付後のスミ頁に白抜きで記された言葉も含めて)一つの大きなテーマを展開する一篇の作品ともなっている。第一部にあたる「狂天」は、「みなさん天気は死にました」と題する詩から始まる。この題名の由来は作中でも「跋」でも明かされており、鎌田氏を本格的詩作に衝き動かした一行らしい。「天気の死」という驚くべき認識をうけて、天気の死後の世界をどうに受け取り、どう生きるかが、本書の、また神話詩三部作の大きな主題と言えよう。それを、奔放なことばのワザを駆使して探り求めるような詩篇が並ぶ。激しいことばが跳ねて、母音の多い日本語の音韻の海に溶け入り、その音のたゆたい・うごめきから、意味がまた姿をもたげ形を成してくる。ことばの「修理固成」だろうか。

が、強烈な印象を残すのは第二部「驚天動心」に収められた諸篇かもしれない。そこでは、この詩人思想家の詩魂と思索の源泉をなす少年時からの至高・至上の時(最暗黒の時を含む)の光景が、整った散文で綴られている。場面は、四国阿波の生家から始まって、九州青島の海の光、ギリシャのデルフォイの陽光と雷鳴、富士山の雷光と虹、陰鬱なアイルランドの海辺、等を経めぐるが、いずれも、氏が詠うべきなにかを強烈に刻まれ、見据えさせられた時だった。その意味では、この詩群は一種の詩的自伝、詩境の由来を明かすものとの面ももつが、それに留まるものではない。第三部「慟地」の諸篇を見ればそれは明らかである。自身の魂の来歴を語ることで、本詩集は、詩人論・詩論の詩篇となっていく。

はじめに記したように本詩篇は神話詩である。神話詩の詩人は、神的世界を詠う者、いわば預言者の境位に自らを据える。預言者・託宣者たる詩人という、古来の最も正統な詩人観を自らに引き受けようとする。「オルフェウス」と題される詩には、トマス・インモースと山尾三省の名を挙げてそうした詩人論が記されてもいる。詩人とは、「太古からの人間の普遍的な体験」を「全人類の集合記憶」から発せられる「人間的普遍性をもつ」言葉にまで凝固させる者だ。だから、本詩集では、オルフェウスが、ノアが、そしてスサノヲが、自らのライバル=同志として歌われている。詩人は自らの経験を、「人類の普遍的記憶」に根ざすものとなし、「世界への、あるいは世界そのものの希望を見出す」言葉を紡ぐ者でなければならない。

では、この神話詩三部作はそうした詩になっているか。そもそも、そうした詩が現代に可能なのか。詩人はその困難を知っている。古代以来の正統な詩=預言の言葉が(かつてのようには)人々に臨まないことを知っている。「天気」は「死んだ」のだから。そしてこの認識から、古代的現代詩人鎌田東二は思索し詩作するようなのである。天の気が死んだ後の世に、どのような真正の詩が、美が、言葉がありうるのか。ハイデガーのような問いを抱えて、それでも鎌田東二は、衝迫抑えがたく、きわめて個人的でもあるこれらの神話詩を紡いだ。喪失を果無むにはあまりに純粋な詩人の想念が、晴朗と苦渋の同居する力強い詩行に漲って、そこに「世界への希望」が託されようとしている。真摯と諧謔の境を無邪気に越えることばのたわむれのちからを信じ、それに身を委ねるようにして書かれたこれらの詩篇の射程は、鎌田氏の多彩な仕事全体の中でさらに測られねばならないだろう。
この記事の中でご紹介した本
詩集 狂天慟地/土曜美術社出版販売
詩集 狂天慟地
著 者:鎌田 東二
出版社:土曜美術社出版販売
以下のオンライン書店でご購入できます
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