トランスジェンダーの私がボクサーになるまで 書評|トーマス・ページ・マクビー(毎日新聞出版)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年10月19日 / 新聞掲載日:2019年10月18日(第3311号)

トランスジェンダーの私がボクサーになるまで 書評
魂の訓練台としての肉体
男として「見られる」ことを、克明に描写する

トランスジェンダーの私がボクサーになるまで
著 者:トーマス・ページ・マクビー
翻訳者:小林 玲子
出版社:毎日新聞出版
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 中学生の頃、『春琴抄』に憧れた。相思相愛ながら身分違いである春琴と佐助。「見えない」春琴と「見える」佐助。何者かによって顔に火傷を負わされ佐助に見られたくないと思う春琴。佐助は目玉に針を刺す。そして視力を失う。

視覚重視の生き物である人間の、思春期だったわたしは、こう思う。(魂が本当に愛し合えるのは、視覚に囚われない、目の見えない人同士だけだ)。


中身に外見を寄せてゆく人がいる。外見に中身を寄せてゆく人がいる。中身がアイデンティティーである人と、外見がアイデンティティーである人の違いだろう。

外見と中身の関係は、車と運転手の関係に似ている。

そういう人がそういう車を選ぶ。または、そういう車に乗っているうちにそういう人になっていく。

表紙の著者の写真を見て、究極の改造車に乗るヤンキーを思った。実際の男の人は、「こんなに」男らしくない。

ヤンキーを「半端ない人」と定義するならば、著者は究極のヤンキーだろう。そして職業通りの、ジャーナリスト魂の塊である。女性の体に生まれつき、ハラスメントを受けながら男性の体を手に入れてボクサーになる。そして、男から男として、女から男として「見られる」ことを極めて繊細な感受性で受け止め、克明に描写してゆく。

「自分で思い描く男になれないことがあった」と反省し言動も改造してゆく。男として生活するうちに、男というものは男を演じているのだと著者は感じる。やはり(アメリカ)社会はまだ、男であるが故に女より影響力や信頼度が増すことを実感する。

ボクシングは男の中の男のステージだろう。そこに飛び込み、男として闘うことを体験する。男性機能が男を闘わせるのか否かを実験のごとく体感する。優秀で愛ある母親、四歳の女の子だった著者に性的虐待をし続けた継父、著者が男になっても、なる前からずっと変わらない弟、母親の死以降溝の広がった妹、側にい続けてくれる恋人の女性ジェス……。

「男らしさを誰よりも体現していたのは継父で、長年にわたる性的虐待は……」「攻撃性が男であることと切っても切り離せないのなら……」等という記述を読むと、著者は継父に仕返しをするための人生を送らされているのではないか、と哀れみたい気分になってくる。しかしたとえそうだったとして、著者は母の絶対の愛を実感することになる。弟の変わらなさに気付くことになる。恋人ジェスとの相性の良さを確認することになる。結果として今のところ、「良かった」。けれど原題が「AMATEUR」であり本文で「終着点は、まだはるか遠くにある」と書いているように、これから先は長い。

だが、今後も、男を極めた外見や声や言動やジャーナリスト魂が、著者に真実を見せ続けるのだろう。その真実に落胆し、救われる。柔な真実らしさではない、直の真実。

しかし魂というものは、そのような体験を得るために、肉体をつかの間所有している。
この記事の中でご紹介した本
トランスジェンダーの私がボクサーになるまで/毎日新聞出版
トランスジェンダーの私がボクサーになるまで
著 者:トーマス・ページ・マクビー
翻訳者:小林 玲子
出版社:毎日新聞出版
以下のオンライン書店でご購入できます
「トランスジェンダーの私がボクサーになるまで」出版社のホームページはこちら
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