世界一ありふれた答え 書評|谷川 直子(河出書房新社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2016年12月9日 / 新聞掲載日:2016年12月9日(第3168号)

世界一ありふれた答え 書評
絶望から快復への一歩 「二人がかりの風変り」なアラベスクの調べ

世界一ありふれた答え
出版社:河出書房新社
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谷川直子の『世界一ありふれた答え』の冒頭では「凍るような冬の雨」が降っている。その中を「コートの肩を髪を濡らす雨粒の重さがこわくて」、カフェに駆け込むのが「私」である。「雨粒の重さ」を怖がる「私」が気にしているのは「コートの肩」であり、自分の「髪」だが、両者の間には読点も並列の助詞もない。続く一連の動作―「目を閉じ」、「息を止めて」、「倒れるように」、「飛び込む」―も同様に読点を挟むことなく一気に畳みかけられ、切迫した様子が伝わってくる。さらに「私」はカウンター席に着いた後も、あたたかさや安心感を得られず、コーヒーカップから立ち上る湯気を「迷い込んだ森に立ちこめる霧」と見る。このように本作の主人公は、通常、人が感じる以上の不安にとらわれた人物として登場する。

この「私」(積木まゆこ)は一人暮らしで無職の四十歳。十五年の結婚生活の末、市議会議員の夫から離婚を切り出された。夫婦に子どもはいなかった。夫の選挙活動を支えてきたと自負する「私」は打ちのめされ、離婚後は何事にも無気力になり、不眠や摂食障害が続いている。その結果、「ウツ病」と診断され、この時もカウンセリングの帰りだった。 

いっぽう、そのカフェで声をかけてきた雨宮トキオは、新進気鋭のピアニストとして注目される存在だったが、一年前の夏にジストニアを発症したことから心身のバランスを失い、「私」と同じクリニックに通う「ウツ病」患者である。ジストニアとは不随意性の運動障害で、ピアニストの場合は、「ピアノを弾こうとすると、意図せず手指の筋肉に力が入って固まってしまったり、動かそうと思っていない指が動いてしまったりと、思い通りに手指を動かせなくなる」(古屋晋一『ピアニストの脳を科学する』、春秋社、二〇一二年)という。

つまり、冒頭で果たされるのは、異なる事情を背負いながら同じ病を生きている者同士の出会いだと言える。本作は、その二人が、同じ地点から、互いの痛みを分かり合い、互いを疑い合い、傷つけ合い、もがき苦しみながら、各々が世界と他者と自己との関係をみつめ直す過程をリアルに描き出していく。自分を「世界一不幸」だと思い、自身の経験を「ありふれた」物語に回収されることに強い忌避感をもっていた「私」が、人間は生きているという点では同じであるという「口にするとあまりにもありふれた、あたりまえ」の答えを受け入れ、いっぽうのトキオが痛みを知った者だからこそ奏でられる音楽があると思えるに至るまで。

この過程で重要な役割を果たすのがドビュッシーのピアノ曲「アラベスク第一番」だ。トキオは動く左手だけで弾き、右手のパートは素人の「私」が演奏する。二人で一台のピアノで奏でるアラベスクは、CDに収録された、以前のトキオの演奏の完璧さからは程遠くとも、「泣けるようなやさしさ」に満ちている。ここで「雨粒の重さ」が「私」を不安に陥れていたことを想起すれば、ほかならぬ雨を名にした「雨宮トキオ」という男と「私」とが、この曲を水のイメージで演奏する姿には、絶望から快復への一歩という意味がこめられていると受け取ることができるだろう。この「二人がかりの風変り」なアラベスクの調べで本作はクライマックスを迎える。
この記事の中でご紹介した本
世界一ありふれた答え/河出書房新社
世界一ありふれた答え
著 者:谷川 直子
出版社:河出書房新社
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