中平卓馬をめぐる 50年目の日記(28)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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中平卓馬をめぐる 50年目の日記
更新日:2019年10月21日 / 新聞掲載日:2019年10月18日(第3311号)

中平卓馬をめぐる 50年目の日記(28)

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写真批評誌「フォト・クリティカ」は急ごしらえのスタッフで始まったが、いつも顔を合わせているメンバーが集まったのだから進行は順調だった。

私たちは、学生のつくるものだからと軽く書き流されないような人を選ぼう、それにはきちんと原稿料を支払う態勢をつくると決めた。

そのためには制作費全体の見当を早くつけなければならない。紙折の切りのいいところでページ数を想定したが、いったいそれで用紙・印刷・製本費がどのくらいかかるのか。誰も分からないことなので、詩の同人誌「歴程」の発行人になっていた詩人を父にもつスタッフの一人に、その雑誌を印刷しているところを父に紹介してもらって相談してくる大役を預けた。

彼が印刷会社へ行って、概略を得てきた感触からやっと制作経費の輪郭が見えてきた。そして学生会から出る額は総額の半分くらいにしかならないことも分かった。私はあわててまた学生会の友人に相談した。彼は鷹揚に「足りなかったら何とか始末するから」と言ってくれた。

それでもやはりできるだけ自分たちで工面しようと、原稿料を計算し、広告でまかなう額も割り出し、広告を出してくださいとカメラメーカーなどにお願いにまわる役を決めた。

朝方までかかって交渉先のリストをつくり、私は久しぶりにアパートに帰ることにした。その途中、電車の中で編集経費や交通費といった諸経費を全く計算に入れていないことに気づいたが、疲れていたし、どうせ皆は自腹で動いているのだからそんなことはずっと忘れっぱなしでいようと思った。

夏も終わって日の出が遅くなり始めた頃だったから、新宿の始発に乗っても20分余りで着く京王線仙川駅はまだ朝になりきっていない感じだった。私は早く横になりたくてアパートに急ぐ。近道になる桐朋学園大学の構内を抜けると武蔵野台地の縁端の一つである仙川の崖線に出る。そこに沿った坂道を下る。武者小路実篤の屋敷に沿って降りてゆくのだ。

途中に屋敷の広い裏門があった。大きな郵便受けには新聞が三紙か四紙くらいさし込まれている。低い塀の上端には配達されたばかりの牛乳瓶が4本並んでいた。牛乳配達の自転車の、瓶がふれあう音が遠ざかりつつ聞こえていたからそこに置かれて間もなくだったのだろう。牛乳が美味しそうだった。私は塀の前の石台に座わり、郵便受けの新聞を取って、牛乳にも手を伸ばして一休みした。

冷たい牛乳に目が覚める思いがし、朝の空気の中で読む新聞のインクの匂いがいいなと思った。その時、背後に人の気配を感じた。

驚いて振り返ると、武者小路実篤本人が庭箒を手にして私を見ている。思わず私は会釈をしたが、向こうの表情は全く変わらない。怒っている様子でもなく、咎める感じでもなく、絵でも見ているような視線だけをあの分厚な眼鏡越しに感じた。

私は急いで新聞を整え、空の牛乳瓶を他のに並べて急いでそこを逃げたのだった。

そんなことが二三度あった。振り返るとそのたびに竹箒をもった武者小路さんが庭にいた。まだ凜とした姿で。あの著名な文士が歴史の絵図から出てきて、懐深い旧知の隣人になって居るような奇妙な感覚だった。咎めることもせず超越したように私を見ていたあの大人の存在感は忘れられない。

武者小路さんが82歳の時のことである。(やなぎもと・なおみ=写真家・東京造形大学名誉教授)    (次号へつづく)
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