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更新日:2019年10月21日 / 新聞掲載日:2019年10月18日(第3311号)

カメラの寄りと引き、確かな演出力 ヤスミン・アフマド『細い目』

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10月11日(金)よりアップリンク吉祥寺、アップリンク渋谷ほか
全国順次公開

カメラが部屋のなかを左から右へゆっくり移動し、ジェイソンが母にタゴールの詩を読み聞かせる。母が体を起こし息子の腕を掴もうとすると、アクションつなぎでカメラが同軸上に寄る。次の場面ではオーキッドがヒジャブをつけてコーランを読み、立ち上がると、そのアクションでカメラが同軸上に引く。彼女が衣装戸棚の服を探り、カメラが寄る。再びジェイソンの場面になり、彼は友人たちの前でインド音楽に合わせて踊り、カメラが彼に寄って引く。部屋に強面の男たちが入って来て、その後も寄りと引きが繰り返される。場面がオーキッドの家の前に替わり、門を出ようとする彼女の母を家政婦が呼び止め近づくと、カメラが二人に寄る。ヤスミン・アフマドのマレーシア映画『細い目』が素晴らしいのは、冒頭から多用される巧みな同軸上の寄りと引きを見るだけで明らかだ。『細い目』は、近年少なくなったこの編集をカット割りの基本に据えて、その魅力を蘇らせる。

マレー人の少女オーキッドと華人の少年ジェイソンが恋に落ちる。二人はファーストフード店で初めて二人きりの時間を過ごし、この場面でも、並んで座る彼らへの寄りと引きが繰り返される。前半ではカメラは少女に寄り、後半では少年に寄る。少女のほうが積極的で、少年は奥手だ。少年の柔和で弱気な振舞いと表情が、この場面を豊かにしている。通常の男女関係が反転された、異なる民族間の恋。マレーシアでは好まれない愛の形だが、当人たちにとってはごく自然なものだ。

ジェイソンの親友キョンが強面の連中に襲われると、甘い調子の展開が一転し、映画は不吉な様相を帯び出す。自動車が夜道に止まり、ドアが開く。キョンが全力で走って逃げるのを、後退移動のカメラが捉える。男たちが彼に追いつくと場面が終わり、映画はその先を見せない。移動ショットひとつで映画を転調させるところに、この監督の確かな演出力が見て取れる。ジェイソンも制裁を受けそうになる。その時、彼はオーキッドと電話をしているが、危険を感じて携帯電話を切り、少女は不安になって叫ぶ。男たちが自動車から降りて少年を追いつめる。だが、そこにインド系の男たちが現れて抗争が起こり、少年は難を逃れる。夜道に拳銃の発射音が響くが、抗争自体は示されない。電話のカットバックと自動車の窓越しの視線が素晴らしい。

電話と自動車がここで交錯している。少年が少女に電話番号を記した紙切れを渡し、少女が電話をして交際が始まるのだから、電話の主題は特に重要だ。ジェイソンとキョンの電話のカットバックも忘れ難い。ジェイソンはしゃがんで寂しげな後ろ姿を見せ、キョンは負傷した右手の代わりに左手で電話を持ち、床に仰向けに寝るのだ。この電話の後、映画はラストへと直進する。そしてこのラストで、電話の主題と自動車の主題は再び合流する。電話は手紙を伴い、自動車はバイクを伴う。赤い自動車の後をバイクが追い、車の後部座席の少女は手紙を読み電話をかける。自動車とバイクのカットバックは最小限に抑えられる。車を運転する父は一度も示されず、カメラは後部座席に並んで座る少女と母を捉えることに集中する。こうして後部座席は情動が溢れる親密な空間として示され、映画を締め括るに相応しい強度が生み出されているのだ。

今月は他に、『ザ・ネゴシエーション』『アナベル 死霊博物館』『アド・アストラ』などが面白かった。また未公開だが、ルクレシア・マルテルの『サマ』も良かった。(いとう・ようじ=中央大学教授・フランス文学)
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