台湾少女、洋裁に出会う 母とミシンの60年 書評|鄭 鴻生(紀伊國屋書店)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
マイページで記事のブックマーク!
ログイン
マイページ登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは マイページ

  1. 読書人トップ
  2. 書評
  3. 読書人紙面掲載 書評
  4. 台湾少女、洋裁に出会う 母とミシンの60年の書評
読書人紙面掲載 書評
更新日:2016年12月9日 / 新聞掲載日:2016年12月9日(第3168号)

台湾少女、洋裁に出会う 母とミシンの60年 書評
聞き書きと写真を交えて描く母の洋裁人生
少女から大人へ、そこにはいつもミシンがあった

台湾少女、洋裁に出会う 母とミシンの60年
出版社:紀伊國屋書店
このエントリーをはてなブックマークに追加
本書は「台湾人女性が洋裁と出会い、そして別れるまでのドキュメンタリー」(二六頁)である。その女性とは著者の母、施伝月(一九一八―二〇〇九)である。豊富な写真には訳者提供のものもある(二一一頁)。
施伝月は台南(Tainan)の蕃薯港に生まれた。話の中心地となる台南は、古くからの先住民族(シラヤ族)、植民地経営を行なったオランダ人、清朝期の移民(漢民族)によって栄えた街である。シラヤ族は現台南市安平区方面を大員(Tayuan)と呼び、これが台湾(Taiwan)の語源となった(訳者「はじめに」)。なお、台湾では一九一〇年代から米国シンガー社製ミシンが普及し、それを担ったのが在台日系販売店であった(拙著『ミシンと衣服の経済史』思文閣出版、二〇一四)。

彼女の洋裁人生は、幼い頃に手伝っていた家業の日用品店に始まる。店では商品を紙袋に入れて客へ渡していた。その紙袋は、当時日本で刊行されていた婦人雑誌類の古紙面を貼り合わせたもので、「そのなかに、洋裁のページがあった」(五六頁)。

彼女は、洋裁見習いを希望するも家族から許されず、代わりに手廻式ミシンを買ってもらう。それには日本語の解説が付いており、ミシンだけでなく日本語も独習した。やがて妹や弟の簡単な洋服を作れるようになり、一九歳の一九三六年五月、末広町にあった日系洋装店日吉屋に就職する。足踏式ミシンの経験がなかったが、直線縫で済む布団カバーを担当し、練習にはちょうど良かったという。

日吉屋を退職した翌40年に伝月は東京の東京洋裁技芸学院へ留学する。コースはデザインを勉強する裁断科で、規定年数は1年であったが、台湾で蓄積したミシン技術が評価された上、午前と午後の両コースに通ったため半年間で修了した。四一年初夏に台南へ戻り瑞恵洋裁店を開き、戦後五三年には洋裁学校の東洋裁縫学院を開く。

戦後台湾の洋裁ブームに拍車がかかるのは一九七〇年頃で、既製服(レディ・メイド)の輸出拡大が主因である。九〇年代になると逆に既製服輸入拡大により産業が縮小し、洋裁学校の人気は鈍化した。伝月の開校した洋裁学校も同じ頃に閉校した。

日本帝国の統治、日中戦争・太平洋戦争下の貧困、戦争末期米軍の空爆、国民党の統治、七〇年代初頭の国連脱退とニクソン訪中。目まぐるしい政治・軍事情勢にも関わらず、伝月の辿った洋裁人生は淀まなかった。本書は個人史に留まらず東アジアの洋裁受容史としても貴重で、日本の読者も描かれた風景に自身の過去を重ねるだろう。(天野健太郎訳)
この記事の中でご紹介した本
台湾少女、洋裁に出会う 母とミシンの60年/紀伊國屋書店
台湾少女、洋裁に出会う 母とミシンの60年
著 者:鄭 鴻生
出版社:紀伊國屋書店
以下のオンライン書店でご購入できます
このエントリーをはてなブックマークに追加
岩本 真一 氏の関連記事
読書人紙面掲載 書評のその他の記事
読書人紙面掲載 書評をもっと見る >