中平卓馬をめぐる 50年目の日記(29)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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中平卓馬をめぐる 50年目の日記
更新日:2019年10月28日 / 新聞掲載日:2019年10月25日(第3312号)

中平卓馬をめぐる 50年目の日記(29)

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いつものように現像の後処理をしたフィルムを新宿の「ボン」という喫茶店で待つ中平さんに渡した。

手にすると彼はネガを窓にかざしてルーペをあてて仔細に見続ける。そして「ところで批評誌の方は進んでいますか?」と、言った。
「もちろんです」

中平さんの写真百年展関連の仕事が終わりに近づいた頃、ちょうど私たちの批評誌発行の目途もはっきりとつき、広告の協力も順調に得られて、いよいよ執筆依頼という段階にたどり着いたところだった。
「これからがたいへんです。書いてくれる人がいるかどうか」

すると中平さんが「オレも書こうかな。どう、まだ入り込めますか?」と言う。
「ええ。是非入ってください」と私はこたえた。一番望んでいたことでもあったから大歓迎だった。
「クライン論で、特集の『写真は何であったか』を考えてみるというのはどうだろう。いや『不動の視点の崩壊』というタイトルが思い浮かんだものだからね」

それはいいと私は思った。

なぜなら、時はウィリアム・クラインのブーム。写真評論家は勿論、開高健のような人にいたるまで、たくさんの人がクラインの写真集『ニューヨーク』を、「肥大した文明への警鐘」とか「写真的伝統への挑戦」という内容で褒めそやす風潮一色だった。中平さんはそういうのに対して「違うよね。反文明や反伝統と言う話ではない。言葉で写真を読まないでもらいたいね。非現実だと思うことを含んだ現実を捕獲する写真だよね」と、憤っていた。私はそれを聞いて批評誌がほんとうに具体化する確信を持った。

私が「写真」はそういうものなんだと思うようになったきっかけは、「フォト・クリティカ」に中平さんがウィリアム・クラインの写真について書きたいという話からだった。

当時、クラインを語ることが写真の最先端であるかのような雰囲気が濃かった時代、その論調への不満が彼には強くあった。

私はいまも「フォト・クリティカ」に書いた中平のクライン論「不動の視点の崩壊―ウィリアム・クライン〈ニューヨーク〉からの発想―」が好きだ。読み返しても、その率直な気持ちの表明に共感が湧く。それは「私(たち)の写真」のマニフェストだったとも思うことだ。もっとも共感するのはつぎのような平易な文章の一節にである。中平さんの文章はいつも分かりやすい。それは書きたいことがはじめからはっきりしているからだ。


「ウィリアム・クライ ン」をブレッソン、ロ バート・フランクある いは日本の石元泰博か ら決定的にへだてるも のは、クラインが写真 を探求、認識の方法と して、果てのない世界 への冒険のてだてだと 考えるのに対して、ブ レッソンやフランクや 石元泰博がたとえそれ が透徹したものである にせよ、ある一つの世 界観、あるいは人間は 淋しく孤独であるとか いった人生観の直接的 表白の手段と考えてい るというこの一点にあ ると言ったらよいのか もしれない」。


「不動の視点の崩壊」を書くにあたって、中平さんにはクラインについて書かれたものをくまなく探してくれ、と頼まれた。そして集めたそれらをエビデンスとして確認して、クラインの独自性を強調したその一節は、中平さんにとっても発言開始の狼煙のようなものになった。(やなぎもと・なおみ=写真家・東京造形大学名誉教授)        (次号へつづく)
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