ライフサイクルの哲学 書評|西平 直(東京大学出版会)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年10月26日 / 新聞掲載日:2019年10月25日(第3312号)

ライフサイクルの哲学 書評
「生きる」という単純ではない営み
キーワードとしての「ゆるやかさ」

ライフサイクルの哲学
著 者:西平 直
出版社:東京大学出版会
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本書は、教育人間学にはディシプリンがない、というテーゼから始まる。その意味のひとつは、人間の「本質」から出発しないということである。すなわち、普遍的な人間像を求めない。それはそのまま著者の、今日における哲学研究の厳密さへの違和感につながっているように思われる。その昔、哲学科に在籍していた著者は、教育人間学の「ゆるやかさ」に惹かれて転向したのであった。
「ゆるやか」という言葉は本書のキーワードであるように思う。しばしば著者は、論を展開する際に、ここでは「ゆるやかな意味で使う」と断る。もちろん厳密に概念を定義し、詳細に吟味することは、それはそれで実り多い研究ではある。しかし本書で著者は、むしろ問題となる概念のもとに、ふわっと集まってくる諸事を捉え、事柄の全体像を捉えようとしている。
そのような問題の捉え方は、ライフサイクルの研究にふさわしい。ライフサイクルとはエリクソンの術語であるが、本書で問題となっているのは、人ひとりが生まれてから死ぬまでの直線的時間や、いわゆる輪廻の円環的時間だけではなく、世代間のつながりも視野に入れた「めぐる時間」であり、その中で人が生きることである。その文脈で、教育や世代、稽古、スピリチュアリティ、転生などのテーマが、「ゆるやか」につながる豊かな問題群として立ち現れる。

とはいえ、本書は漠然とした話をしているのではない。著者の関心は「流体的な位相」と呼ばれるところにあるが、随所随所で、目下の問題は誰に向けられているのか、誰にとって問題であるのかに気を配る著者の視線が感じられる(人生前半と後半の問題、稽古する者の視点など)。それは一般化を強く拒むものであり、まさに普遍的人間像を求めないという教育人間学と呼応する態度である。一般的な人というものが生きている次元から、ほかならぬ状況におけるこの人が生きている次元に降りていくことで、生の意味が濃度を増す。そのようにして浮かび上がる人間の生の営みは具体的であるゆえに、割り切れない。無分別と分別のあいだの往来、意味が形成されるあわいの領域が、多層的に論じられる。

その時、「ゆるやか」であることは、「両義性を持ちこたえるためのしなやかさ」として強みとなる。確かに教育や稽古、ケアや転生などの問題には、科学的厳密さを求めて論じたり、一般的概念として論じたりすれば、指の間からこぼれ落ちていく繊細さがある。著者の興味は、エリクソンのほかにも、井筒俊彦、ユング、世阿弥、シュタイナー教育、盤珪から現代ブータンの人々の生活などに至るまで縦横無尽に広がってゆき、また時に著者の素直な心情や戸惑いの吐露も混じって、読み進めるたびに読者は、人が生きるという単純ではない営みに好奇心を強く刺激される。

翻って、今日の哲学の窮屈さを思わずにはいられない。ライフサイクルの「哲学」と名付けられた本書は、哲学研究への警告であるようにも思われる。
この記事の中でご紹介した本
ライフサイクルの哲学/東京大学出版会
ライフサイクルの哲学
著 者:西平 直
出版社:東京大学出版会
以下のオンライン書店でご購入できます
「ライフサイクルの哲学」出版社のホームページはこちら
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