国木田独歩と周辺 書評|中島 礼子(おうふう)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年10月26日 / 新聞掲載日:2019年10月25日(第3312号)

国木田独歩と周辺 書評
現代における独歩の文学的意義
現代における独歩の文学的意義

国木田独歩と周辺
著 者:中島 礼子
出版社:おうふう
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 一九〇八年に三六歳で死去した国木田独歩の自然主義作家としての名声は、死後に高まった。明治文壇を回想した作家・近松秋江は、独歩の死が尾崎紅葉のとき以上にジャーナリズムを騒がせ、独歩をめぐる「追憶談」は「実に日本に文学史あつて以来空前の大景気」と言ってよいと記した。

では、二一世紀の現代において独歩の文学的意義は、どこにあるのだろうか。

彼は北海道や武蔵野、大分県佐伯など、まったく異なる相貌をみせる《自然》に触れたことによって、生命の多様性を尊重する価値観を見出した。生きとし生けるものを「天地間の生命」として、「驚異」の念をもってとらえるとき、真の平等の思想が「覚醒」する。

このような独歩の文学を、本書の著者・中島礼子氏は「生物的生命を視座とするヒューマンエコ・システム」と呼んで高く評価する。まさに独歩は現代に甦ったといえよう。

中島氏は実証的な独歩研究の第一人者といえる碩学で、これまでに『国木田独歩―初期作品の世界―』(一九八八年、明治書院)、『国木田独歩―短編小説の魅力―』(二〇〇〇年、おうふう)、『国木田独歩の研究』(二〇〇九年、おうふう)などの著書を刊行している。

本書の特徴としてまず指摘したいのは、独歩の妻・治子の作家活動に論及した点である。

治子は夫の死後、四人の子どもの養育をしながら、三越の給仕娘の取り締まりや、明治座本家茶屋の帳場預かりなどの職業に就き、多忙な中、折に触れて文筆活動に取り組んでいた。一九〇三年の「貞ちやん」から、一七年の「小説野菊」までの足かけ一五年間、数多くの小説を書き残しているのである。

この間、つねに彼女は文豪独歩の「未亡人・閨秀作家・職業婦人」という側面から当時の新聞や雑誌に取り上げられたのだが、記者は男性である場合が多く、女性に対する偏見から酷評されることもあった。

中島氏によれば、「治子は夫の生前から小説を発表し、その後、求めに応じて誰の力も借りずに自力で小説を発表してきた」。「治子が自立した小説家」であるためには「故文豪国木田独歩の未亡人」という肩書は「邪魔にこそなれ決して助けになるものでは無かっただろう」と指摘する。

その一方、治子は「独歩亡き後、ひたすら遺された子供の養育を第一」に考え「良妻賢母を信条」にしていた。「青踏」創刊時には賛助員として参加し「猫の蚤」を寄稿しているが、その内容は「積極的に職業婦人に賛成しているわけではない」という。

ところで、独歩は日清戦争では、海軍従軍記者として通信文「愛弟通信」によって文名を馳せ、日露戦争では雑誌「戦時画報」の編集長として腕をふるった。

しかし、日露戦争が終わると発行部数が激減、一九〇六年、矢野龍渓の近事画報社を引き継ぎ、独歩社を興して、(「戦時画報」からタイトルを元に戻した)「近事画報」や「新古文林」「婦人画報」を発行し続けた。

この年に独歩にとっての第三短編集『運命』を上梓して作家として名声を誇るようになるものの、独歩社は資金繰りが困難となって、〇七年破産に追いやられた。そして〇八年独歩は肺結核のために死去するのであった。

中島氏によれば、「日清戦争は独歩を世の中に押し出す役割をし、日露戦争は結果として、独歩の編集者としての才能を発揮させこそすれ、文壇で認知され始めた文学者としての独歩の将来をつぶしてしまった」。

独歩自身の言葉である「雑誌の編纂については自己を滅却せよ」や図画の寄稿に「年月日地名等の学実」を求めたことにみられるように、独歩は「戦時画報」編集の仕事にたずさわったことで、文芸作品の創作に際して「抒情的な歌い上げるような要素の欠如」が生じた反面、戦争報道の経験から「より強く、弱者の視点に立脚した社会的方面からの創作を導く」傾向が生まれるようになったという。

その一方、独歩自身が北海道開拓を志した体験にもとづく「牛肉と馬鈴薯」「空知川の岸辺」などの作品には、開拓民によって土地を収奪されたアイヌ民族の姿が描かれていない。中島氏は「当時、流布されていた言説のなかでアイヌ観を形成し、『アイヌ』は滅び行く民として等閑視してもいいものだとの認識」を持っていたのではないかと推測している。

独歩における社会問題への関心は、「二少女」「少年の悲哀」などにみられる「廃娼妾」―女性における〈性〉の商品化―と、「窮死」(一九〇七年)などに描かれた貧困の問題である。とりわけ「窮死」には、「不自然に思われるほど、文公を取り巻く人びとの人間的暖かさやかれらの善意」が描かれているにもかかわらず、文公は轢死してしまう。一九七四年に制定された恤救規則は、日本最初の国家的救済制度で、「人民相互ノ情誼」「隣保等ノ情誼」といった相互扶助が強調されている。

しかし中島氏によれば、戸籍を持たない文公は恤救規則の対象外であった。社会の最下層におかれた人びとを「独立した人格を有する個人」―独歩の言葉でいえば「天地生存の感」―として描き出した独歩は、恤救規則にみられる相互扶助の考え方では「真に困っている人は助け得ない」と考えていたのだという。

《他者》の発見という観点からいえば、独歩は下層民に加えて、女性と自然が持つ《他者性》をとらえていた。

田山花袋が「明治の文壇に於ける最初の肉欲小説」と評価した独歩の「女難」「正直者」は、一九〇三年に発表された小説である。

当時、独歩は治子と再婚しておきながら、父・専八の付き添いのために雇い入れた看護婦・奥井君子とも性的交渉を持っていた。死去する間際まで関係がつづいた彼女の存在によって、独歩は「人間の内部をめぐる自然力、之れを如何ともすることの出来ない事実」を冷静に受け止めることができたというのである。
この記事の中でご紹介した本
国木田独歩と周辺/おうふう
国木田独歩と周辺
著 者:中島 礼子
出版社:おうふう
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