自己検証・危険地報道 書評|安田 純平( 集英社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年10月26日 / 新聞掲載日:2019年10月25日(第3312号)

自己検証・危険地報道 書評
最前線の混沌、生命の灯、五感を失う私たち

自己検証・危険地報道
著 者:安田 純平、危険地報道を考えるジャーナリストの会
出版社: 集英社
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 目や耳の不調で、私たちは医者に行く。まことに不自由で危ないから、眼鏡や補聴器を買い求め、視覚や聴覚を補おうとする。社会的な目や耳の役割を担ってきた、ある人びとの存在が風前の灯となっている。死と紙一重の現場のギリギリさや、そういう現場を記録しようとする人びとに向けられる国家統制の圧力とやじなど、さまざまな経験と思考が現れる。彼らの討議の目的は、民主主義に不可欠な記録者たちの生命線をいかに守るか、に集約されていく。そこに至る道筋には、実に多層的で多角的に、判断の困難が横たわっている。自分の目がよく見えず音も聞き取れない、という危機感をもって、これら記録者たちの困難を想像してみる。

危険地報道、という言葉はここでは適切ではないかもしれない。自然災害や権力者の暴走、原子力汚染など、危険地はさまざまにある。本書は、国際紛争の前線で記録者が人質となった場合を扱っている。各種の危険地取材には、共通項と個別の特殊性があり、討議は錯綜する。例えば、国内の誘拐事件なら報道協定が可能だ。警察は記者クラブ記者に捜査状況を随時伝え、報道は解禁の時期を守る。しかし、国際紛争の人質事件では、外務省と家族や日本人記者が協定しても、乱立する身元不明の自称交渉人らからネット情報が流出する。人質の所在や生存さえ定かでない現場に、国内報道協定のようなルールは使えない。そこでよその国の紛争地取材に範を見いだしたいが、英語のジャーナリズムと日本語の報道には、似て非なる意味と仕組みの隔たりがある。

本書の自己検証、の自己の部分は、主に著者のひとりである安田純平さんが、四〇カ月にわたりシリアで拘束された経験を事例としている。その救出を家族以外で、もっとも真剣に考え動いた人びとが当時を振り返り、今後のために意見交換している。安田さんの経験自体は、『シリア拘束 安田純平の40カ月』(ハーバー・ビジネス・オンライン編、扶桑社発行、二〇一八年)などで補う必要がある。安田さんは、国家と国家が争って武力を行使する場で、人びとがなぜ殺されなければならなかったのか、国家がそういった行動をすることについて我々国民はどう考えるのかを判断する材料を、国家とは別のところから得る必要がある、と考えて前線に向かった。解放のために安田さんが、自ら拘束者側と交渉したプロセスを前提としないと、本書での安田さんの発言を誤読しかねない。

本書で自己検証を試みた結果、身柄の拘束・解放の事情、政府の対応、いずれも混沌の中にあることが再確認された。その過程で、企業所属記者と独立系記者の溝の深さ、政権から記録者への統制圧力の強さ、市民の記録者への信託や関心の薄さ、記録者のプロとアマの力量差の大きさ、などが露呈する。なす術がなさそうなハードルの高さだ。これらの傾向は、汚染水が処理水になれる日本でさらに加速するだろう。こうしてみると、一九六〇年代の米国で、行政府の情報秘匿特権の暴走を止めるために、国会議員、弁護士、ジャーナリストらが協働して制定した情報自由法のような、人びとの知る権利を補強する仕組みづくりが必須と思わされる。

楽しい個人主義に埋没できるネット空間に、深海魚のように棲む若者たちも一緒に。戦争の無惨を知っている高齢者たちの叡智をつないで。「なす術」を皆で作り出さないと、やがて五感を失い、かつての日本兵のように人間をやめざるを得なくなってしまう。そこまで続く混沌の地平を、垣間見させてもらったように思う。
この記事の中でご紹介した本
自己検証・危険地報道/ 集英社
自己検証・危険地報道
著 者:安田 純平、危険地報道を考えるジャーナリストの会
出版社: 集英社
以下のオンライン書店でご購入できます
「自己検証・危険地報道」出版社のホームページはこちら
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