倉橋健一 寄稿 最下層に向けて開く目――韓国の情況に屹立する金芝河 『週刊読書人』1974(昭和49)年10月7日号 1面掲載|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年10月27日 / 新聞掲載日:-0001年11月30日(第1049号)

倉橋健一 寄稿
最下層に向けて開く目――韓国の情況に屹立する金芝河
『週刊読書人』1974(昭和49)年10月7日号 1面掲載

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1974(昭和49)年
10月7日号1面より
金大中事件、民青学連事件、朴大統領そ撃事件等、日本と韓国には根深い問題が横たわっている。とくに詩人金芝河への死刑宣告は、我が国の文化界にも大きな衝撃を与えたが、そういう一連の事件が戦後日本につきつける問いの原像はどこにあるのか。そこで、一昨年韓国をおとずれたこともある詩人の倉橋健一氏に、金芝河問題を中心に執筆してもらった。(編集部)
第1回
徐勝にとって不自由な言語

一昨年初冬、私は、ソウル西大門拘置所の中庭で、政治犯死刑囚徐勝ソ・スン(のち無期に減刑)に会ったことがあった。大がかりな学園スパイ事件の首魁として逮捕された。在日朝鮮人留学生であった徐兄弟の兄の方である。その前日、ソウル高等法院の法廷で、路上はびっしり氷の張りつめたきびしい寒気のなかで、上は白いチョゴリ、下は灰色のバチをまとって、荒縄で後手を縛られて、粗末な椅子に二十人ほどの別件の囚人たちと一緒に並んでいるのを私はみていた。彼の最終陳述を聴きとったのであった。
会ったのは五分間である。横二㍍、奥行三㍍ほどの小屋の金網越しの面会室で、彼は無残な火傷の顔で、しかし五分間をまる抱えにして、私たちには何も語らせなかった。そして私は、最終陳述をめぐって彼が、自分にとって不自由な言語(=朝鮮語)しか使用できなかったゆえに、ひどく不十分にしかおのれの意志を表現できなかったと、これはきわめて流暢な日本語で語るのを息を呑む思いで聞いたのである。
この問題をめぐる感想は、言語的な作業にくりこむかたちで、すでに『辺境』や『白鯨』に、私なりに書きとめてきたのでいまはくりかえさない。ただ徐勝の洩らした自国語のつらい未熟につながるところで、朝鮮人が朝鮮と朝鮮民衆のためにたたかい、とらわれたあと、その法廷闘争を見守るのがほとんど日本人だけだという暗い忍耐をも、私は茫然自失でみつめていたのである。それにかぶせるように『辺境』にかいた文章のなかで、私のみた風景を次のようにかきとめた。
〈……にもかかわらず、南朝鮮は飢餓の国であった。まぎれもなく胃袋の飢えの国であった。空が晴れているのにたえず雨が降っているような国であった。たえず澱み、人々のたいていはただ働きつづけていた。そして思想の実相をうつし出すような時間は、支配の論理によってうちつけるまでもなく、苛酷な生活の内部ですでに崩壊していたのである〉(『異国と言語』)
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